八王子バプテスト教会通信

5月28日のメッセージ 2023年5月28日

み言葉を託された者:ミカ(2)

「わたしは何をもって主のみ前に行き、高き神を拝すべきか。燔祭および当歳の子牛をもってそのみ前に行くべきか。主は数千の雄羊、万流の油を喜ばれるだろうか。わがとがのためにわが長子をささぐべきか。わが魂の罪のためにわが身の子をささぐべきか」。人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。主の声が町にむかって呼ばわる――全き知恵はあなたの名を恐れることである――「部族および町の会衆よ、聞け。わたしは悪人の家にある不義の財宝、のろうべき不正な枡を忘れ得ようか。不正なはかりを用い、偽りのおもしを入れた袋を用いる人をわたしは罪なしとするだろうか。あなたのうちの富める人は暴虐で満ち、あなたの住民は偽りを言い、その舌は口で欺くことをなす。

ミカ6:6〜12

 

ミカはユダ、特にエルサレムの破壊を予言していますが、その理由がふたつあることは今までも見てきた通りです。ひとつは偶像崇拝。もうひとつは、社会的公正の欠如。ユダはこのふたつのつみの責任を負わなければならないのですが、このふたつに関して、彼らの感じ方に大きな温度差がありました。今日はこの点から、私たちの信仰生活を再考してみようと思います。

 

今日の聖句の中に、「不正な枡」「不正なはかり」「偽りのおもし」というものが登場します。いずれも商売の利益を不正に大きくするためのものです。わかりやすく言えば、農家から麦を買い付けるときには大きな升や軽い重りを使って安く買い付け、市民にそれを売るときには小さなますや重い重りを使って高く売りつけるという、「汚い商売」の代表格です。買うにも売るにも、人を搾取しているわけです。

 

このような状況が社会に与える悪影響は大きく、そのために、中国の秦の始皇帝や、ローマのコンスタンチンのように、大きな改革を行なったリーダーたちはこの点を統一しました。日本でも、公正な商売のために時代に合わせた法制化が進められてきましたが、最も荒れたのが約100年前のメートル法の導入でした。これがなかなか浸透せず、昔の尺貫法とメートル法との違いを利用した「汚い商売」がやはりありました。最後には、国は「尺貫法の重りや測りを、販売目的で所有していた場合」に対して、今のお金で言えば20万円の罰金を課すという法律を作り、ようやく定着しました。

 

さて、モーセの律法では、どのような罰則があるのでしょうか?実は、基本的にないのです。測りだけではなく、社会的公正全般に対して、ないのです。いわば、「努力義務」のようなものですが、主からすればもっと根本的なこと、規制する必要もないほど基本的なことのはずでした。しかし、このことが人々の考えをルーズにしてしまった側面もあります。「罰せられないことは、やっても罪にならない」という発想が定着してしまったのです。

 

偶像崇拝に関する規定は、実に厳しいものでした。

 

あなたがたのうちに預言者または夢みる者が起って、しるしや奇跡を示し、あなたに告げるそのしるしや奇跡が実現して、あなたがこれまで知らなかった『ほかの神々に、われわれは従い仕えよう』と言っても、あなたはその預言者または夢みる者の言葉に聞き従ってはならない。あなたがたの神、主はあなたがたが心をつくし、精神をつくして、あなたがたの神、主を愛するか、どうかを知ろうと、このようにあなたがたを試みられるからである。あなたがたの神、主に従って歩み、彼を恐れ、その戒めを守り、その言葉に聞き従い、彼に仕え、彼につき従わなければならない。その預言者または夢みる者を殺さなければならない。あなたがたをエジプトの国から導き出し、奴隷の家からあがなわれたあなたがたの神、主にあなたがたをそむかせ、あなたの神、主が歩めと命じられた道を離れさせようとして語るゆえである。こうしてあなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。同じ母に生れたあなたの兄弟、またはあなたのむすこ、娘、またはあなたのふところの妻、またはあなたと身命を共にする友が、ひそかに誘って『われわれは行って他の神々に仕えよう』と言うかも知れない。これはあなたも先祖たちも知らなかった神々、すなわち地のこのはてから、地のかのはてまで、あるいは近く、あるいは遠く、あなたの周囲にある民の神々である。しかし、あなたはその人に従ってはならない。その人の言うことを聞いてはならない。その人をあわれんではならない。その人を惜しんではならない。その人をかばってはならない。必ず彼を殺さなければならない。彼を殺すには、あなたがまず彼に手を下し、その後、民がみな手を下さなければならない。彼はエジプトの国、奴隷の家からあなたを導き出されたあなたの神、主からあなたを離れさせようとしたのであるから、あなたは石をもって彼を撃ち殺さなければならない。そうすればイスラエルは皆聞いて恐れ、重ねてこのような悪い事を、あなたがたのうちに行わないであろう。あなたの神、主があなたに与えて住まわせられる町の一つで、よこしまな人々があなたがたのうちに起って、あなたがたの知らなかった『ほかの神々に、われわれは行って仕えよう』と言って、その町に住む人々を誘惑したことを聞くならば、あなたはそれを尋ね、探り、よく問いたださなければならない。そして、そのような憎むべき事があなたがたのうちに行われた事が、真実で、確かならば、あなたは必ず、その町に住む者をつるぎの刃にかけて撃ち殺し、その町と、そのうちにおるすべての者、およびその家畜をつるぎの刃にかけて、ことごとく滅ぼさなければならない。またそのすべてのぶんどり物は、町の広場の中央に集め、火をもってその町と、すべてのぶんどり物とを、ことごとく焼いて、あなたの神、主にささげなければならない。これはながく荒塚となって、再び建て直されないであろう。そののろわれた物は一つもあなたの手に留めおいてはならない。主が激しい怒りをやめ、あなたに慈悲を施して、あなたをあわれみ、先祖たちに誓われたように、あなたの数を多くされるためである。あなたの神、主の言葉に聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り、あなたの神、主が正しいと見られる事を行うならば、このようになるであろう。

申命記13章

 

実際、ユダは何度となく偶像崇拝から立ち返りました。特に、バビロン捕囚の後が顕著です。

 

エルサレムの旧市街の発掘現場を掘り進むと、あるところで炭素の層が出てくるそうです。エルサレムがネブカデネザルに焼き討ちにされた跡です。そして、その炭素の層の下からはおびただしい数の偶像が出てくるものの、その層の上からは全く出てこない、というのです。彼らは偶像と完全に決別したのです。

 

しかし、彼らは社会的公正に関してはバビロンから戻っても変わらず、むしろ悪化していました。その事態は、イェスの時代になっても変わっていませんでした。

 

それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。

マタイ21:12〜13

 

しかし、彼らはこの行動に反感を持ちました。これが、彼らの中でのスタンダードだったからです。

 

さて、来週までの宿題です。私たちはみな、罪を持っています。中には、悪いとわかっているが、やめたくてもやめられない罪があるでしょう。ついついやってしまう罪もあるでしょう。そして、罪に当たるという知識はあるものの、それは「仕方ないこと」「生きていくためには必要なこと」と割り切っている罪もあるでしょう。

 

ここで大切なのは、いずれも罪ですが、何がどれだけ重いのか、人によって感じ方や捉え方がさまざまであるということです。来週はこの点をさらに考えたいと思います。

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