八王子バプテスト教会通信

1月8日のメッセージ 2023年1月8日

2023年新年礼拝(2)

よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。ところが、あなたがたは誇り高ぶっている。このような高慢は、すべて悪である。人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。

ヤコブ4:13〜17

 

今週あと1回だけ、年末年始関係のメッセージとして、来週からは通常のシリーズに戻します。

 

年初めや年度はじめは、その年またはその年度のために計画を立てることが多いものです。無計画に生きているよりは、計画的に生きている方が生産性が良いし、効率も良いし、結果的にことを成すの思われるからです。もちろん、仕事や学業の上では、計画を立てないと何も進まないということもあり得ます。

 

しかし、立てた計画が必ず思い通りに進むとは限りません。そうしたときには、軌道修正が必要です。ただ、自分の当初の計画が間違っていたと認める勇気が持てずに頑固に突き進み、どんどん傷口を広げてしまう人もいます。今のロシアのプーチン大統領のように。かと思えば、ことがうまく運びすぎてどんどん大きくなると、怖気付いて自分の計画からの逃げ道を探す人もいます。

 

私が伝道者になる勉強をしていたときに、とある先生からこのようなアドバイスをいただきました。

「伝道者が最終的に達成するものは、当初のビジョンを超えることは決してない。だから、若い時のビジョンはどデカく、壮大な規模で持ちなさい。」

 

へぇ〜、そうなのか、と思いました。それから数年間は、でっかい宣教事業を妄想する日々が続きました。ツテやコネを作るために忙しく色々な教会や宣教現場に足を運んだり、研修会に参加したりしました。しかし、妄想はいつまで経っても妄想のままでした。実行にこぎつけた計画は、音楽伝道など、ほんの一部でした。

 

しかも、大きな計画が実際に動き始めた仲間の若手牧師たちを見てみると、その計画にがんじがらめになり苦しめられている姿がありました。とある人気牧師は、自分が「牧師会に出過ぎて過労死するという殉教の道を辿ると思う」と言っていました。周囲からは、「それは殉教ではなく犬死だ」と諭しましたが、結局彼は志半ばで天に召されました。また、組織との対立に巻き込まれ、身動きが取れなくってしまった仲間もいました。そうなると、あの一番最初のアドバイスは、実際どうなんだろう、と思う様になりました。

 

その上、自分の計画とは関係ない、日常生活の中で、不思議な人のつながりが生まれ、ことが起こり始めました。人が主に導かれたりしました。自分の計画とは無関係に、主が自分の生活の中で働かれるのを目の当たりにしました。そこで、気づきました。

「主の御業は、平凡な日常に現される。」

 

そこで今日は、どうやって大きな年間計画を作るかということではなく、平凡な日常の中に主に働いていただくためにはどうすれば良いのか、ということについて考えていきます。大きな年間計画を立てなくても、一年間365日、主が働かれるのであれば、私の内に主の御業がなされるのですから。

 

そこで、これはあくまでもひとつの考え方なのですが、私たちが日常において、み言葉や祈り、さまざまな出来事の中で何かを指し示されたとき、次のように考えるステップを設けるのはどうでしょうか?

 

・私が学ぶべき手本はあるか?

 聖書の多くは物語調ですので、その中で私たちは模範や反面教師の多く出会います。実生活の中でも同様です。私達が直感的に気に入った人が必ずしも信仰の模範とは限りません。

神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。

ヘブル13:7

 

・私が従うべき命令はあるか?

 旧約聖書はもちろんのこと、新約聖書にも命令は多くありますが、私たちの日常生活にそれをどう適用するかが悩ましいものも多くあります。だからと言って適用しないことはあり得ず、常に真剣に考えて実践することが必要です。

わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

ヨハネ13:24

だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

マタイ7:12

 

・私の考え方に調整すべき点はないか?

 私たちひとりひとりが理解している聖書の真理と、聖書の本当の真理とは一致していない可能性があります。私の考え方に変えるべき点があると指し示された時、それに従うことが、長きにわたって主の御心に従うことにつながります。

あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

ローマ12:2

また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。」

イザヤ30:21

 

・私が棄てるべき罪はないか?

 私たちは当然、日々罪を犯す生き物ですが、罪とは思わず抱えて生きてしまっているものもあります。私達が大切にしているものが罪であることが指し示されたなら、それは罪として扱う必要があります。私も伝道者になる召を受けた時点で、このようなプロセスを経ました。

また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。

詩篇19:13

 

・私が受けるべき約束はあるか?

 主は私たちのために多くの約束をしてくださっています。多くの助けを用意してくださっています。しかし、私たちは、スーパーでのクーポン券や特典に無頓着でいるのと同様、私たちの日常生活に対する主の約束に対しても無頓着で、忙しく動き回っていることが多いのではないのでしょうか?

わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。

詩篇32:8

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。

ガラテヤ6:9

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

ヨハネ14:26〜27

 

今年一年、自分の作り出した計画やプロジェクトに従うというよりは、計画があっても日々の中でこのように主の思いに委ね、そのときにするべきことをするようにしてはいかがでしょうか?そうすれば、私たちの知恵の実ではなく、主のご計画の実を目の当たりにするでしょう。

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