八王子バプテスト教会通信

1月2日のメッセージ 2022年1月2日

新年礼拝メッセージ「新しいもの」

 

「新しい」に関しての、非常にシンプルなメッセージです。

 

まず、黙示録の21〜22章をお読みください。

 

これは素晴らしいですね!2022年にでもこの様な世界が到来しないでしょうか?

残念ながら、天と地とが新しくなる前には、新しくならなければならないものがあります。それは私たち人間の心です。

 

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

IIコリント5:17

 

私たちのするべき仕事は、その様な素晴らしい世界が到来しないかと熱望することではなく、新しい存在としてこの世の中に影響を与え、新しい天と地の到来を準備することです。

 

では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。

ローマ6:1〜14

 

天地を新しくするのは、その君主であらせられるキリスト一人の責任ではなく、その御国の構成員の一人一人である私たちの責任でもあるのです。この「新しい」を、今年目標とする認識としたいと思います。

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