八王子バプテスト教会通信

1月17日のメッセージ 2021年1月17日

「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。」

ヨハネ14:18

 

先週は、悲しみに対する慰めの中から生まれたホレーシオ・スパッフォードの名曲、「やすけさは川のごとく」について考えました。今週も、悲しみの中から生まれた讃美歌の背景を考えたいと思います。

 

書いたのは、トーマス・ドーシーという、ちょうど100年ほど前のミュージシャンでした。彼はもともと、ジャズ・ミュージシャンで、「ジョージア・トム」という芸名で全米に知られるほどの人物でした。しかし、全てを手に入れたかのように見えた彼は、突然その道に背を向け、説教者になるために献身しました。

 

数年後、説教者として主に使えていた彼に、突如試練が襲いかかります。ある日、教会で説教をしている最中に、彼のもとに連絡が入ります。産気づいていた妻が出産中に出血多量で亡くなり、赤ちゃんも死産だったということです。

 

自分は名声も富も捨てて神に従ったのに、与えられる報いとはこのようなものか?なぜ神はこのような不条理な仕打ちをされるのか?そして激しい悲しみと怒りの中で、心に誓います。自分は二度と主に仕えまい、と。

 

それから二週間ほど経ったある日、彼はピアノに向かっていました。当時流行のとある曲を弾いていたのですが、突如その曲に対する別の歌詞が心から湧き上がってきました。それは外部から与えられた歌詞ではなく、彼の心の叫びそのものでした。

 

Precious Lord, take my hand Lead me on, let me stand

尊い主よ、私の手を取ってください 私を導いて、立たせてください

I am tired, I am weak, I am lone

私は疲れた、私は弱い、私は孤独

Through the storm, through the night Lead me on to the light

嵐の中、夜の中、私を光に導いてください

Take my hand precious Lord, lead me home

私の手を取ってください、尊い主よ、私を連れて帰ってください

 

この最後のhome には、「家」という意味だけではなく、永遠の住まい、心の故郷、「父の家にあるたくさんの住まい」、このような永遠の安らぎの場をも指しています。

 

この曲の詩を書いた後、彼は説教者として復帰します。様々なところで主の言葉を取り次ぎ、この曲も歌います。ある日、礼拝の参加者の中に、その曲を聞いて大変感動した人物がいました。それは、当時のキング牧師でした。それ以降キング牧師も行く先々でこの曲を紹介し、瞬く間に全米に広がりました。マヘイリア・ジャクソンやエルビス・プレスリーなど、数え切れないほどの有名なアーティストがこの曲をレコーディングしました。日本でも、柳ジョージが武道館ライブのエンディングをこの曲で締めくくるほど、この曲は感動的なものだったと言います。

 

しかし、大切なのは、どれだけの有名人がこの曲を歌ったのかということではなく、どれだけの人がこの恵と慰めを受けたか、ということです。私たちにとって大切なのはいかに少しでも苦しい目に合わないかではなく、そのような中においても前に進むかです。私たちの主は、遠く離れて私たちの苦しみがわからないお方ではなく、自らが全てをご経験なさった上で、私たちに対して慈悲深いお方なのです。

 

この曲は、私たちの聖歌週に「慕いまつる主なるイェスよ」として収められています。

 

したいまつる 主なるイェスよ

とらえたまえ われを

みちにまよい つかれはてし

よわきしもべ われを

 

「確かに、彼は天使たちを助けることはしないで、アブラハムの子孫を助けられた。そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」

ヘブル2:16〜18

 

「さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」

4:14〜16

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