八王子バプテスト教会通信

11月28日のメッセージ 2021年11月28日

み言葉を託された者:サムエル(2)

 

キリアテ・ヤリムの人々は、きて、主の箱を携え上り、丘の上のアビナダブの家に持ってきて、その子エレアザルを聖別して、主の箱を守らせた。その箱は久しくキリアテ・ヤリムにとどまって、二十年を経た。イスラエルの全家は主を慕って嘆いた。その時サムエルはイスラエルの全家に告げていった、「もし、あなたがたが一心に主に立ち返るのであれば、ほかの神々とアシタロテを、あなたがたのうちから捨て去り、心を主に向け、主にのみ仕えなければならない。そうすれば、主はあなたがたをペリシテびとの手から救い出されるであろう」。そこでイスラエルの人々はバアルとアシタロテを捨て去り、ただ主にのみ仕えた。サムエルはまた言った、「イスラエルびとを、ことごとくミヅパに集めなさい。わたしはあなたがたのために主に祈りましょう」。人々はミヅパに集まり、水をくんでそれを主の前に注ぎ、その日、断食してその所で言った、「われわれは主に対して罪を犯した」。サムエルはミヅパでイスラエルの人々をさばいた。イスラエルの人々のミヅパに集まったことがペリシテびとに聞えたので、ペリシテびとの君たちは、イスラエルに攻め上ってきた。イスラエルの人々はそれを聞いて、ペリシテびとを恐れた。そしてイスラエルの人々はサムエルに言った、「われわれのため、われわれの神、主に叫ぶことを、やめないでください。そうすれば主がペリシテびとの手からわれわれを救い出されるでしょう」。そこでサムエルは乳を飲む小羊一頭をとり、これを全き燔祭として主にささげた。そしてサムエルはイスラエルのために主に叫んだので、主はこれに答えられた。サムエルが燔祭をささげていた時、ペリシテびとはイスラエルと戦おうとして近づいてきた。しかし主はその日、大いなる雷をペリシテびとの上にとどろかせて、彼らを乱されたので、彼らはイスラエルびとの前に敗れて逃げた。イスラエルの人々はミヅパを出てペリシテびとを追い、これを撃って、ベテカルの下まで行った。その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、「主は今に至るまでわれわれを助けられた」と言って、その名をエベネゼルと名づけた。こうしてペリシテびとは征服され、ふたたびイスラエルの領地に、はいらなかった。サムエルの一生の間、主の手が、ペリシテびとを防いだ。ペリシテびとがイスラエルから取った町々は、エクロンからガテまで、イスラエルにかえり、イスラエルはその周囲の地をもペリシテびとの手から取りかえした。またイスラエルとアモリびととの間には平和があった。サムエルは一生の間イスラエルをさばいた。

Iサムエル7:1〜15

 

今日の話に入る前に、ここで登場する「ペリシテ人」について背景を説明する必要があります。士師記から王の時代への転換期において、イスラエルは、以前は想定していなかった隣人と対峙しています。ペリシテです。ペリシテは、古くからカナンの地に住む民族ではなく、新顔です。紀元前の12世紀ごろ、地中海地方に権勢を振るっていた勢力がありました。一般に言う「海の民」です。「海の民」はどこから来た誰なのか、いまだに全くわかっていないので、歴史の教科書にもほとんど登場しませんが、この「海の民」はヒッタイト、アッシリア、エジプトと言った列強と対等に渡り合える、超大国並みの軍事力を持っていたのは紛れもない事実です。その「海の民」が、エジプトに挑みますが、当時のラムセス三世の軍隊の前に敗れて敗走し、その一派がカナンにたどり着いたのがペリシテと見られています。

 

カナンでは、エジプトに敗れたしたものの強大な力を持つペリシテが大きな影響力を持ちました。実際、今でいう「パレスチナ」の呼び方は、「ペリシテ」から来ているのです。ペリシテの最大の武器は、製鉄の技術を持っていたことでした。イスラエルも含め、当時の多くの国はまだ青銅文化でした。農耕においても戦争においても、製鉄文化と青銅文化の力の差は圧倒的なものです。一部の学説では、海の民が当時の地中海地方の製鉄技術を独占していたとも言われています。

 

この状況を最終的に変えたのが、後に興るダビデ王です。長年の戦争を通してペリシテを完全に制圧すると、製鉄の職人や鍛治の職人を全てエルサレムに移り住まわせ、イスラエルの職人にその技術を全て教えさせました。製鉄の技術は面白い点があります。それは、青銅文化の中から出てくるのを待っていたら、何千年経ってもなかなか出てきませんが、その技術の情報を持っている人から教わると、一代で定着してしまうのです。ペリシテは他にも様々な技術を持っていたようで、イスラエルはダビデの世にそれを全て吸収していきました。その結果、ソロモンの時代には、アフリカからインドに及ぶまで、当時知られていた全世界に貿易港を持つ、イスラエル王朝が花開きます。

 

そのペリシテに、少年サムエルの時代のイスラエルが対峙しています。イスラエルはそれまでカナンの人々と戦ってきましたが、この相手は全く別格です。不安になるのは当然でしょう。実際、戦いの初日に、イスラエル側に死者四千名が出てしまいます。気が動転したイスラエルの人々は、シロ(ダビデが都をエルサレムに遷都させるまでのイスラエルの都)に安置されている神の契約の箱を戦場に運び込むことを思いつきます。戦いに神を強制参加させようとしたのです。そのことに、エリの二人の息子、ホフニとピネハスも賛同していました。その時の経緯が、Iサムエル4:5〜11に記録されています。

 

主の契約の箱が陣営についた時、イスラエルびとはみな大声で叫んだので、地は鳴り響いた。ペリシテびとは、その叫び声を聞いて言った、「ヘブルびとの陣営の、この大きな叫び声は何事か」。そして主の箱が、陣営に着いたことを知った時、ペリシテびとは恐れて言った、「神々が陣営にきたのだ」。彼らはまた言った、「ああ、われわれはわざわいである。このようなことは今までなかった。ああ、われわれはわざわいである。だれがわれわれをこれらの強い神々の手から救い出すことができようか。これらの神々は、もろもろの災をもってエジプトびとを荒野で撃ったのだ。ペリシテびとよ、勇気を出して男らしくせよ。ヘブルびとがあなたがたに仕えたように、あなたがたが彼らに仕えることのないために、男らしく戦え」。こうしてペリシテびとが戦ったので、イスラエルびとは敗れて、おのおのその家に逃げて帰った。戦死者はひじょうに多く、イスラエルの歩兵で倒れたものは三万であった。また神の箱は奪われ、エリのふたりの子、ホフニとピネハスは殺された。

 

神を戦争に強制参加させることができませんでした。この知らせを聞いたエリは座から転げ落ちて首の骨を折り、死にました。少年サムエルの予言通り、エリの家は滅亡しました。しかし、今でも、キリスト教徒と名乗る人が、様々な「お守り」を持とうとします。カトリックには首から下げるメダリオンやペンダントがありますし、人によっては聖書を肌身離さず持ち歩く人もいます。しかし、それはいずれも大きな勘違いです。イスラエルの人々が契約の箱を戦場に持ち込んで神を強制参加させられなかったのと同じように、私たちも身に付ける物や家に安置する物を通して私たちの日常に強制参加させることができません。その点は後ほど。

 

さて、契約の箱は奪われたものの、それを所有していたペリシテに様々な災いが起こります。日本で言えば「祟りをなす」と言うことです。そこで、神の箱は敵陣の中でたらい回しされていきますが、行く先々で災いが起こります。結局、イスラエルに送り返すことになりますが、イスラエルまで届けることができず、中途の中立的な家に安置することになりました。ここからが、今日の話です。

 

契約の箱がシロから消えてから、すでに二十年以上経っています。それまでは都合がいい時しか主の名を口にすることがなかったイスラエルの人たちの心は、「主を慕って嘆」くようになりました。エリ亡き後、イスラエルの唯一のリーダー、裁き司であり預言者であるサムエルは期が熟したことを悟ります。そして、本当に神を味方につけて成功する唯一の方法をイスラエルに伝えます。

 

もし、あなたがたが一心に主に立ち返るのであれば、ほかの神々とアシタロテを、あなたがたのうちから捨て去り、心を主に向け、主にのみ仕えなければならない。そうすれば、主はあなたがたをペリシテびとの手から救い出されるであろう。

 

結局、他の神々を崇拝しておきながら、主の救済を期待することは、あまりにも身勝手な考えです。神の助けを得るのに必要なのは、お守りでも儀式でも供物でもなく、「正しい心」です。

 

もしわたしが心に不義をいだいていたならば、主はお聞きにならないであろう。

詩篇66:18

 

あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげてもあなたは喜ばれないでしょう。神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。

詩篇51:16〜17

 

だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。

ヤコブ5:16

 

長い前置きの後に、とても短いポイントで今日の話を閉じます。正しい人であるということは、偉大な善行を大量に行うことではなく、自分の置かれた場所で、自分の自然体が望ことではなく主が望ことを実行して日々を過ごすことです。サムエルはこのような生き方を通して、イスラエルの心を束ねることができたのです。その結果、イスラエルは主に立ち返り、ペリシテはイスラエルを襲撃しなくなりました。

 

しかし、サムエルも私たちと同じ人間、非がなかったわけではありません。その点は来週に。

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