八王子バプテスト教会通信

10月24日のメッセージ 2021年10月23日

み言葉を託された者:ヨシュア(2)

 

主のしもべモーセが死んだ後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた、「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。あなたがたの領域は、荒野からレバノンに及び、また大川ユフラテからヘテびとの全地にわたり、日の入る方の大海に達するであろう。あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。

ヨシュア1:1〜9

 

イスラエルの民はヨシュアに率られ、ヨルダン川を渡って約束された地に入ろうとしています。これまでは40年間、荒野をさまよい続けるイスラエルにとっては、古い世代が死に絶えるまでは、新しい世代が生存し続けることと、主に対して罪を犯さないことだけが目下の目標のようなものでした。

 

それに対して、これからは具体的な行動や活動がたくさん続きます。契約の箱を伴ってヨルダン川の流れを渡り、領土獲得のために地元民との交渉や戦闘が待っていたした。それを全て成功させ、平安と繁栄を手に入れるためには、「雄々しく」あるここと「律法をことごとく守って」行うこととが必要である、と主がヨシュアに伝えます。ヨシュアは真面目でしたが、真面目だけで事を成すことはできません。雄々しい、勇敢である、というのは気持ちの面、心の持ちようです。一方、ことごとく守るというのは、具体的な行動です。特にリーダーであるヨシュアにとっては、その両方が必要であるということです。

 

これからヨルダン川を越えようとしていたイスラエルの民は、先にモーセを通して神から与えられていた命令がありました。ヨルダン川をを渡った後でしなければならない、とある活動に関するものでした。

 

「わたしが、きょう、あなたがたに命じるすべての戒めを守りなさい。あなたがたがヨルダンを渡ってあなたの神、主が賜わる国にはいる時、あなたは大きな石数個を立てて、それにしっくいを塗り、そしてあなたが渡って、あなたの先祖たちの神、主が約束されたようにあなたの神、主が賜わる地、すなわち乳と蜜の流れる地にはいる時、この律法のすべての言葉をその上に書きしるさなければならない。すなわち、あなたがたが、ヨルダンを渡ったならば、わたしが、きょう、あなたがたに命じるそれらの石をエバル山に立て、それにしっくいを塗らなければならない。またそこにあなたの神、主のために、祭壇、すなわち石の祭壇を築かなければならない。鉄の器を石に当てず、自然のままの石であなたの神、主のために祭壇を築き、その上であなたの神、主に燔祭をささげなければならない。また酬恩祭の犠牲をささげて、その所で食べ、あなたの神、主の前で喜び楽しまなければならない。あなたはこの律法のすべての言葉をその石の上に明らかに書きしるさなければならない」

申命記27:1〜8

 

ヨルダン川を渡ったら、祭壇を築いて燔祭を捧げて歓び楽しむことと、石碑を立ててそこに律法の言葉を書くこととが命じられました。これには非常に納得ですが、その律法の言葉を書く石に関して、奇妙な指示があります。それは、その石を漆喰で塗り、その上に律法の言葉を明白に書きなさい、というものでした。永く残したい言葉であれば、漆喰の上に字を書くのではなく、石にに深く掘り刻むべきでしょう!一体なぜ、このようにすぐに風化してしまうような方法を命じられたのでしょうか?

 

それがまさに今回のポイントです。石にに深く掘り刻んだ字であれば、長年、誰も手入れをしなくても、その字は残るでしょう。しかし、その場所に行かなければ、人々の心からその字は消えてしまうでしょう。一方、漆喰に書いた文字は、天候に晒されて簡単に薄れてしまいます。普段からの手入れ、日常的に書き重ねることが必要になります。まさにこれを主が命じていたのです。日々、ことごとく守り行うためには、日々その言葉を目にして、口に出して、手で書くことが必要でした。

 

江戸時代の日本で、とある惨事が起こりました。江戸末期の1854(安政元)年12月24日、大阪は地震に襲われました。その地震の被害から逃げるために、ある家の女性たち8人ほどが船に乗り、河川を通って避難をしようとしていました。大阪には何本もの河川が流れ、船は非常に一般的な移動手段でした。しかし、この地震による津波が起こり、津波が河川を駆け上がってきました。いわゆる「安政南海地震津波」です。女性たちが乗った船がこの津波に巻き込まれ、全員が犠牲になってしまいました。

 

この痛ましい出来事を知った地元の僧侶は、ことの一部始終を記録しましたが、背景を色々と調べていくうちに、不思議な記録に出会しました。それは、約150年前の1707(宝永4)年にも同じ場所で全く同じような出来事が起こっていたということでした。その時も同様に、大地震の後に船で避難を試みていた女性数名が、同じように犠牲になったということでした。なぜその時の教訓が生かされなかったのでしょうか?

 

その僧侶もそれを不思議に思い、必死に資料を探し回りました。そして、その経緯の記録に行き着きました。当時の資料によると、150年前の1回目の出来事の後、大阪の街中に石碑を立て、その教訓を後世に伝える碑文を刻むべきではないか、という動きが起こりました。しかし、それは実現しませんでした。理由は、家族の心情に配慮すべきではないか、という意見が大勢を占めるようになったからです。ただでさえ肉親を何人も亡くした上に、そのように碑文で恥を晒すのはあまりにも屈辱ではないか、ということだったのです。結果、計画は立ち消えに終わりました。こうして教訓は残されることなく、惨事が繰り返されることになってしまったのです。

 

僧侶は、こういった人間の気持ちの破壊的な恐ろしさに気づきました。そして、そのような被害者が二度と出ないようにと、その川の渡し場(現在の浪速区幸町三丁目)に石碑を立てさせ、地震の際に河川を使って避難することがいかに危険なのかを刻ませました(「大地震の節は津波起こらん事を兼て心得、必船に乗るべからず」(大地震両川口津浪記))。さらに、その字が明白に読めるようにと、字の中を墨で塗りました。そしてその上に!ここからが大事です。この墨も時間とともに薄れるので、毎年決まった時期にこの石碑の文字に墨を塗り重ねることをとある人に託し、更にその一家が代々、毎年墨入れを行うようにと伝えました。今日に至るまで、その末裔にあたる人が石碑に墨入れをしています。

 

これは、イスラエルに人にとっても、今日の私たちにとっても、同様に必要なことです。聖所にしまい込んだ律法がイスラエルにとって全く訳に立たなかったように、本棚にしまい込んだ聖書も私たちにとって全く訳に立ちません。神の言葉をを私たちの心や思いに留めることも大切ですが、神の言葉の最も大切な居場所は、私たちの舌と手足です。私たちの日常の言動が神の言葉に導かれたものなのか、自分の心の思いに導かれたもの何かを示すガイドラインになります。

 

イスラエルの人はそれができたのでしょうか?次回、早速試されます。

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