八王子バプテスト教会通信

8月14日のメッセージ 2022年8月14日

み言葉を託された者:アモス(1)

主はこう言われる、「ユダの三つのとが、四つのとがのために、わたしはこれを罰してゆるさない。これは彼らが主の律法を捨て、その定めを守らず、その先祖たちが従い歩いた偽りの物に惑わされたからである。それゆえ、わたしはユダに火を送り、エルサレムのもろもろの宮殿を焼き滅ぼす」。

主はこう言われる、「イスラエルの三つのとが、四つのとがのために、わたしはこれを罰してゆるさない。これは彼らが正しい者を金のために売り、貧しい者をくつ一足のために売るからである。彼らは弱い者の頭を地のちりに踏みつけ、苦しむ者の道をまげ、また父子ともにひとりの女のところへ行って、わが聖なる名を汚す。彼らはすべての祭壇のかたわらに質に取った衣服を敷いて、その上に伏し、罰金をもって得た酒を、その神の家で飲む。さきにわたしはアモリびとを彼らの前から滅ぼした。これはその高きこと、香柏のごとく、その強きこと、かしの木のようであったが、わたしはその上の実と、下の根とを滅ぼした。わたしはまた、あなたがたをエジプトの地から連れ上り、四十年のあいだ荒野で、あなたがたを導き、アモリびとの地を獲させた。わたしはあなたがたの子らのうちから預言者を起し、あなたがたの若者のうちからナジルびとを起した。イスラエルの人々よ、そうではないか」と主は言われる。「ところがあなたがたはナジルびとに酒を飲ませ、預言者に命じて『預言するな』と言う。」

アモス2:4〜16

 

今日から、紀元前8世紀に活躍した数名の預言者を見ていきます。この時代の背景から、今日の私たちに主が何を望まれているのかについても色々と知ることができます。

 

アモス書はオープニングから、イスラエルの周辺国に対する神のさばきの言葉で始まります。しかし、2章に入ると、突然ユダもイスラエルも同列にさばきの対象として名が上がります。その罪とは?偶像礼拝や不道徳も当然あるのですが、この時代で特に問題になっていたのが、是正されない社会格差と、それを利用してますます富もうとしている人々でした。ユダの貧しい牧者の出身だったアモスは、北のイスラエルで予言することになりますが、特に社会弱者を搾取する社会構造に対して辛辣な言葉をぶつけます。

 

アモスのこのメッセージは、当時の人々の多くを不快にさせました。というのも、国は終わりつつあるバブル経済にまだまだ沸いていたのです。そのバブル経済とは、北のヤラベアムII世が行った富国強兵の政策によるものでした。公共事業を進めて経済を回し、貿易を活発にし、国土も拡張しました。この時になると、もはや新しい事業やさらなる国土拡張は見込めませんが、人々はそれでも、近年はなかった富の甘い汁に酔いしれていました。

 

しかし、それ自体が、新たな社会格差を作り出しはじめていました。少しずつ縮みつつあるパイから少しでも多くの利益を上げようと、多くの農業経営者が、作物を主食作物から商品作物に切り替えはじめていたのです。

 

「主食作物」、「商品作物」、どちらも初めて聞いた言葉かもしれません。しかし、その原理は簡単です。

 

「主食作物」は、サステナンス・クロップとも呼ばれ、社会を維持するために必要な作物、貧民も含めてのみんなの食物です。例としてあげれば、小麦、大麦、米、とうもろこし、アワ、ヒエ、キビなどです。

 

これに対して、「商品作物」とは、生きていくためには必須ではないものの、人々の生活を豊かにするものです。例としてあげればお茶やコーヒー、タバコ、一部の香辛料、一部の果物、ぶどう酒用のぶどう、などがあります。豊かな都市生活に慣れてしまった人々は、ますます豊かな食生活を求めて、より美味しい、バラエティーに富んだ作物を消費する様になっていきます。その様な作物は、付加価値が高く、現金収入のマージンも大きいのですが、消費者側の要求も厳しいのです。

 

農業分野もこれに応えようとしますが、ここでいくつもの問題が持ち上がってきます。これらの問題は、まさに現代社会が抱えている問題そのものでもあります。まず、主食作物から商品作物に切り替える農家が増えると、最終的に主食作物の取れ高が減ります。一般の人の口に入る食物の絶対量が減るということです。そして、これはその主食作物の価格高騰をも招きます。結果、社会の底辺の一般家庭の人がいくら必死に働いても、家族に1日1食の粗食を食べさせても、それで全収入が消えてしまうという構造になります。

 

また、都市部の人間は流行りに敏感なため、去年流行った食べ物が今年も歓迎されるとは限りません。しかし、農業は軽いフットワークで作物を切り替えられるわけではないので、せっかく植えた作物が受け入れられず、価格の暴落を招き、作物の大量廃棄という事態にもつながります。

 

アモスにも、作物の連作障害や、非従来型の大量生産(プランテーション)の影響が疑われる状態の記述があります。

 

「わたしは立ち枯れと腐り穂とをもってあなたがたを撃ち、あなたがたの園と、ぶどう畑とを荒した。いちじくの木とオリブの木とは、いなごが食った。それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった」と主は言われる。

アモス4:9

 

この様なことに簡単にならない様に、社会の底辺の人々を守るために、現代社会では、決して十分とは言えませんが、様々な仕組みやルールがあります。今のウクライナをめぐる情勢でも、麦の出荷が止まれば世界の様々なところで食糧難に陥るということで、あれだけ犬猿の仲のウクライナとロシアが出荷のために合意に至ったのです。日本でも戦後、安定した生産価格のための減反政策と、生産量拡大の干拓事業の、相反するとも思われる政策のバランスを取ってきました。

 

近代国家はほぼどこでも、食の安定共有を実現するべく、様々な規制や仕組みを導入して、誰もが最低限どの食生活をすることができる様にしています。しかし、この頃のイスラエルにおいては、その様にしていた形跡はほぼなく、いわば資本主義の暴走に任せて、何の規制もかけていませんでした。稼げるものが我先にとその富に群がっていたのです。

 

戦後日本の経済がなぜあれだけうまくいったかの要因はいくつかありますが、そのうちのひとつは、戦後日本の経済は、資本主義と社会主義のハイブリッドであることにあります。つまり、資本主義と社会主義のいいとこどりをしているのです。

 

そして、旧約の律法と運用を学んでいくと、古代イスラエルの社会も、資本主義と社会主義のハイブリッドであったということに行き着きます。しかし、アモスの時代においては、それは形骸化していて、実質的には放棄されていました。モーセの律法には、この様な規定があります。

 

あなたは七年の終りごとに、ゆるしを行わなければならない。そのゆるしのしかたは次のとおりである。すべてその隣人に貸した貸主はそれをゆるさなければならない。その隣人または兄弟にそれを督促してはならない。主のゆるしが、ふれ示されたからである。外国人にはそれを督促することができるが、あなたの兄弟に貸した物はゆるさなければならない。しかしあなたがたのうちに貧しい者はなくなるであろう。(あなたの神、主が嗣業として与えられる地で、あなたを祝福されるからである。)ただ、あなたの神、主の言葉に聞き従って、わたしが、きょう、あなたに命じることの戒めを、ことごとく守り行うとき、そのようになるであろう。あなたの神、主が約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国びとに貸すようになり、借りることはないであろう。またあなたは多くの国びとを治めるようになり、彼らがあなたを治めることはないであろう。あなたの神、主が賜わる地で、もしあなたの兄弟で貧しい者がひとりでも、町の内におるならば、その貧しい兄弟にむかって、心をかたくなにしてはならない。また手を閉じてはならない。必ず彼に手を開いて、その必要とする物を貸し与え、乏しいのを補わなければならない。あなたは心に邪念を起し、『第七年のゆるしの年が近づいた』と言って、貧しい兄弟に対し、物を惜しんで、何も与えないことのないように慎まなければならない。その人があなたを主に訴えるならば、あなたは罪を得るであろう。あなたは心から彼に与えなければならない。彼に与える時は惜しんではならない。あなたの神、主はこの事のために、あなたをすべての事業と、手のすべての働きにおいて祝福されるからである。貧しい者はいつまでも国のうちに絶えることがないから、わたしは命じて言う、『あなたは必ず国のうちにいるあなたの兄弟の乏しい者と、貧しい者とに、手を開かなければならない』。

申命記15:1〜11

 

しかしアモスの時代には、この様なことを公(おおやけ)に言おうものなら、とんでもない興醒ましと言われたことでしょう。日本のバブル時代においてそうであった様に。私たちが古代イスラエルの罪を考えた時に、まずは偶像礼拝、そして不道徳を思い浮かべるでしょう。しかし、ここにみられる社会の問題は、さらに大きく、根が深く、そして長いことイスラエルとユダを悩ませるのです。今後しばらく、この時代に焦点を当てて、数人の預言者たちの言葉を学んで行きますが、この問題は私たちが今住んでいる社会においても健在であるということも認識しておく必要があります。

八王子バプテスト教会通信-過去の投稿リスト