八王子バプテスト教会通信

2月28日のメッセージ 2021年2月28日

士師記の書の最後となる今日の出来事は、今まで見てきたいくつもの出来事の中で紛れもなく最も生臭い話です。このシリーズは今後も続きますが、士師記という書物の締め括りを、今日、見ていきたいと思います。士師記の19〜21章をお読みください。

 

サムソンが身勝手でひどいと思ったら、これは桁外れにひどい話ですね。一体なぜこのようなことになってしまったのでしょうか?ヒントになるのが、20:12〜14にあります。こんな酷いことをした奴らを引き渡せ、というイスラエル全国の呼びかけに対し、ベニヤミンの人々は自分たちは何も悪いことはしていないぞ、とばかりに陣を構えてきたのです。

 

ポイントはこれです。悪事を行った認識を持ちながら居直って逆ギレをしたのではありません。「他者から何か言われるような悪いことをした覚えはない」と心底思っていた、というのが士師記を貫くテーマです。彼らもまた、長年にわたって周囲から影響を受けていたのです。

 

その周囲の影響とはどのようなものでしょうか?おそらく日常生活で言えば、カナンに住んでいた人々は、普通の、どこにでもいる「いい奴ら」だったのでしょう。しかし、彼らは一部のところにおいて、道徳的には神の民と相入れないところもありました。それは、神事としての性交渉、つまり巫女や宮の男娼との性行為などの様々な性的不道徳によって神々に近づくという考え、そして人間を生贄として捧げる、ということでした。ギアブの人々も、完全にこのような考え方に浸かってしまっていました。まるで、ソドムに住んでいたロトの家を訪れた使いに対する街の人々の態度のようなものでした。神はソドムとゴモラをその罪深さゆえに滅したのです。それにも劣らない罪深さのカナンの人々を、同様にイスラエルが滅さなければならなかったはずですが、そのようにせず、却って影響されてしまっていたのです。

 

しかし、そこまで強烈な道徳感の違いなら、さすがにイスラエルの人たちも流されなかったのではないでしょうか?当初はそういうところもあったかもしれませんが、私たち人間には、ひとつの大きな弱さがあります。それは、周囲から浮きたくない、違うということで目立ちたくない、同化して一体化したい、という潜在的願望です。モーセの律法を伝えないということとこの人間の気持ちとをセットにするならば、こういうことになってしまうのです。

 

今まで士師記の中で、周囲に影響されるあまりに神のことをほとんど理解しないまでになってしまっていたミカやエフタ、そして理解しているがペリシテ人との交友を好んで影響されてしまったサムソンの例を見てきました。ここまで来ると、ある法則性が見えてきますね。神がその人々と和睦してはならない、嫁をやりとりしてはならない、と言われたのはまさにこのためでした。

 

当初、イスラエルの人々もそのように思ったかもしれません。しかし、実際に付き合ってみると、一部の宗教的な考えを除いては、なかなかいい奴らじゃないか、と思ったのでしょう。ここで、もうひとつのポイントです。「いい奴」かどうを決めるのは、本来、私たちではありません。何が罪であって何がそうでないかを決めるのも、私たちではありません。それを決めるのはあくまで神です。そして、神からの特別な託言がなければ、神の言葉からこれを探し出して守るのが、私たちの責任なのです

 

私たちは誰でも、中学生あたりの思春期の頃は、自分が親より世の中をよくわかっている、親は何もわかってはいない、と確信したことでしょう。しかし、様々な苦い経験をして成長していく中で、最終的には、あの時は親は誰よりもよくわかっていたな、と振り返って思わされるのではないのでしょうか?神も私たちの親として、私たちの祝福と幸福を想って色々と導かれるのですが、私たちは中々そうは歩まず、天邪鬼に周囲と一体となって裁かれる道に進んでしまいがちなのです。

 

ある意味、私たちにはカナンに移り住んだイスラエルの人々よりも難しい課題が与えられています。彼らは、そこに住む民を追い出してその地に住むことを命じられましたが、私たちは追い出さずに共にすみ、良き隣人、良き市民でありながら、影響を受けるのではなく影響を与えながら生きることを求められています。

 

そう考えると、士師記に出てくる人々は、私たちとは状況こそ全く違いますが、根本的には全く同じ状況に直面しているのです。イスラエルは、ヨルダン川を渡る前に、神に命じられました。新しい地に入ったならば、祭壇を作ってそれに漆喰を塗って、そこに律法の言葉を書きなさい。しかし、漆喰に書いただけでは、すぐに消えてしまうのではないでしょうか?その通りです。それは、私たちの心を現しています。漆喰に書いた文字が簡単に消えてしまうのと同様に、私たちの心に書いた神の言葉も、簡単に消えて周囲と同化してしまいます。そのため、漆喰を塗った祭壇の文字を日常的に上書きしなければならなかったのと同じように、私たちの心にも日常的に神の言葉を上書きし続けなければならないのです。

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