八王子バプテスト教会通信

4月2日のメッセージ 2023年4月2日

復活祭(2)

さて、イエスと共に刑を受けるために、ほかにふたりの犯罪人も引かれていった。されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。民衆は立って見ていた。役人たちもあざ笑って言った、「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」。兵卒どももイエスをののしり、近寄ってきて酢いぶどう酒をさし出して言った、「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい」。イエスの上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札がかけてあった。十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。

ルカ23:32〜43

 

復活祭を前にイェスの受難を学んでしますが、主の目的と意図とがここにも読み取れます。「パラダイス」という言葉は聖書に数回しか登場しませんが、その存在はユダヤ教においても明確です。

 

古代のユダヤ教には、「ダン・エデン」という思想があります。「ダン」とは、壁または城壁で囲われた庭園のことです。なぜ壁で囲うかというと、外から守ためです。つまり、外から完全に守られた楽園、ということになります。そこは、清い者、または清められた者しか存在できません。そして、「下のダン・エデン」と「上のダン・エデン」があるというのです。

 

「下のダン・エデン」はアダムとエバが当初いた場所です。しかし、二人は自らの意図的な罪によって清くなくなった為、そこを追放されました。一方、「上のダン・エデン」はパラダイスです。パラダイスは、「天国」とは全く別物、完全に別個のものとして区別されるものです。というのは、「天国」というのは万物の創造者である神がおられる聖所であるのに対して、パラダイスは清められた人間の魂が入る安息なのです。そこでは、入ることが認められた者は、ユダヤ人も非ユダヤ人も、「光と生命の白い衣」を着ているというのです。そこにいる者は、やがて「オラム・ハバ」(来るべき世)、つまりイェスの言われる「よみがえり」に迎え入れられ、いつまでも主と共に暮らすのです。

 

ここに、主の本当の想いが見て取れます。イェスと一緒に十字架につけられた罪人の一人は、当初はもう一人と一緒にイェスをののしっていましたが、途中で改心します。そして、イェスは彼に対して「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と告げます。つまり、イェスの十字架による清めの第一号が、この罪人だったということです。激痛の中にいながらも、イェスは自分がこの地上になすために来られた業が完成するのを見届けられ、さぞ感無量だったのではないかと思います。

 

イザヤの中にも、この来るべき世についての姿について記載されています。主が私たちのためにどのような世界を用意されているかは、復活祭の後にまた学んでいきたいと思います。

 

この様に、主のご計画は、ご自身中心ではなく、いかに私たちを清め、私たちが心身ともに豊かな状態でいつまでも主と共にいることができるか、を中心にした者です。それに対して、私たちができることは、自分中心ではなく、主を中心にした生活をこの地上での短い間、生きることです。

 

わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

黙示録21:1〜7

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