八王子バプテスト教会通信

5月8日のメッセージ 2022年5月8日

み言葉を託された者:エリヤ(2)

多くの日を経て、三年目に主の言葉がエリヤに臨んだ、「行って、あなたの身をアハブに示しなさい。わたしは雨を地に降らせる」。エリヤはその身をアハブに示そうとして行った。その時、サマリヤにききんが激しかった。アハブは家づかさオバデヤを召した。(オバデヤは深く主を恐れる人で、イゼベルが主の預言者を断ち滅ぼした時、オバデヤは百人の預言者を救い出して五十人ずつほら穴に隠し、パンと水をもって彼らを養った)。アハブはオバデヤに言った、「国中のすべての水の源と、すべての川に行ってみるがよい。馬と騾馬を生かしておくための草があるかもしれない。そうすれば、われわれは家畜をいくぶんでも失わずにすむであろう」。彼らは行き巡る地をふたりで分け、アハブはひとりでこの道を行き、オバデヤはひとりで他の道を行った。オバデヤが道を進んでいた時、エリヤが彼に会った。彼はエリヤを認めて伏して言った、「わが主エリヤよ、あなたはここにおられるのですか」。エリヤは彼に言った、「そうです。行って、あなたの主人に、エリヤはここにいると告げなさい」。彼は言った、「わたしにどんな罪があって、あなたはしもべをアハブの手にわたして殺そうとされるのですか。あなたの神、主は生きておられます。わたしの主人があなたを尋ねるために、人をつかわさない民はなく、国もありません。そしてエリヤはいないと言う時は、その国、その民に、あなたが見つからないという誓いをさせるのです。あなたは今『行って、エリヤはここにいると主人に告げよ』と言われます。しかしわたしがあなたを離れて行くと、主の霊はあなたを、わたしの知らない所へ連れて行くでしょう。わたしが行ってアハブに告げ、彼があなたを見つけることができなければ、彼はわたしを殺すでしょう。しかし、しもべは幼い時から主を恐れている者です。イゼベルが主の預言者を殺した時に、わたしがした事、すなわち、わたしが主の預言者のうち百人を五十人ずつほら穴に隠して、パンと水をもって養った事を、わが主は聞かれませんでしたか。ところが今あなたは『行って、エリヤはここにいると主人に告げよ』と言われます。そのようなことをすれば彼はわたしを殺すでしょう」。エリヤは言った、「わたしの仕える万軍の主は生きておられる。わたしは必ず、きょう、わたしの身を彼に示すであろう」。オバデヤは行ってアハブに会い、彼に告げたので、アハブはエリヤに会おうとして行った。アハブはエリヤを見たとき、彼に言った、「イスラエルを悩ます者よ、あなたはここにいるのですか」。彼は答えた、「わたしがイスラエルを悩ますのではありません。あなたと、あなたの父の家が悩ましたのです。あなたがたが主の命令を捨て、バアルに従ったためです。

I列王紀18:1〜18

 

雨が降らない状況が3年半に及び、北イスラエルの飢饉の状況はいよいよ深刻さを増しています。アハブ王自らが執事長のオバデヤと手分けして家畜の飼料を探しに出るほどです。オバデヤ?あの預言者オバデヤか?いや、たぶん違います。非常に高い確率で違います。実際に預言者オバデヤを取り上げるときに詳しく考えますが、おそらくバビロン捕囚中、あるいは以降の預言者です。それはそうと、このオバデヤも神を恐れ従う人物です。ちなみに、「オバデヤ」という名は、「ヤハウェ(エホバ)のしもべ」という意味です。

 

オバデヤを呼び出したエリヤは、アハブ王に謁見を求めますが、当初オバデヤは断ります。なぜならば、エリヤは当時の世界のお尋ね者ナンバーワンで、アハブ王は内外全ての関係者に、エリヤの所在を知らないことを誓わせていたのです。エリヤの言葉なしに雨が降らないのであれば、エリヤを捕まえて拷問を加えてその言葉を吐かせようとしていたのです。「鳴かぬなら、鳴かせてみよう、ホトトギス」といったところです。

 

さて、久しぶりに姿を見せたエリヤは、三年以上逃げ隠れしていた割には、随分自信満々の様子ですね。いや、単に逃げ隠れしていたわけではありません。逃亡生活中のエリヤは、毎日の生活の中で、日々が奇跡であり、主のみ恵みであることを思い知らされたのです。ことはカラスが朝夕の食事を運んでくるところから始まるのですが(カラスも、自分は何をしているのだろうと困惑したことでしょう)、その後も続きます。雨が降らないために川の水が乾いてしまったため、主はエリヤに、とある未亡人の家に身を寄せるように命じます。そこで、大事件が起こるのです。エリヤがそこに身を寄せていると、その未亡人の息子が急病にかかり、死んでしまうのです。

 

これらの事の後、その家の主婦であるこの女の男の子が病気になった。その病気はたいそう重く、息が絶えたので、彼女はエリヤに言った、「神の人よ、あなたはわたしに、何の恨みがあるのですか。あなたはわたしの罪を思い出させるため、またわたしの子を死なせるためにおいでになったのですか」。エリヤは彼女に言った、「子をわたしによこしなさい」。そして彼女のふところから子供を取り、自分のいる屋上のへやへかかえて上り、自分の寝台に寝かせ、主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、あなたはわたしが宿っている家のやもめにさえ災をくだして、子供を殺されるのですか」。そして三度その子供の上に身を伸ばし、主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」。主はエリヤの声を聞きいれられたので、その子供の魂はもとに帰って、彼は生きかえった。エリヤはその子供を取って屋上のへやから家の中につれて降り、その母にわたして言った、「ごらんなさい。あなたの子は生きかえりました」。女はエリヤに言った、「今わたしはあなたが神の人であることと、あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました」。

I列王紀17:17〜24

 

そして実際、この大事件の前からも、日々が奇跡の連続でした。というのは、この未亡人の家には食べるものがほぼなく、一握りの小麦粉と少しの油があるばかりで、エリヤが到着したときには、その未亡人は最後のパンを焼いて、息子とそれを食べて死のうとしていたのです。しかしエリヤが来てからは、毎日毎日、三人分のパンを焼いても、瓶の中には一握りの小麦粉だけが残り続けました。雨が降るまでは、小麦粉も油も尽きることがないとの神の約束でした。「恵み汝に足れり」が日常だったのです。エリヤはこの三年半、神の言葉を通してアハブ政権に鉄槌を加えていただけではなく、主のみ恵みの奇跡の中で日々に感謝して生きることを経験していたのです。

 

さて、いよいよカルメル山での決戦です。I列王紀18:19〜46をお読みください。

 

アハブがイゼベルと布教したバアル信仰は相当浸透していた様子で、エリヤの提案した挑戦を人々は前向きに受け入れ、必死に挑みました。しかし、応える者は無く、時間ばかりが過ぎて行きました。そこで、夕刻の生贄の刻が来たところで、エリヤは民に「もういい、こちらに寄りなさい」と声をかけます。そこでまず何をしたかというと、12の大きな石からなる神の祭壇を作り直します。12の石はイスラエルの12部族を指します。しかし、今では南北に分かれてしまっているのではないのでしょうか?それはどのように表現されるのか?

 

南北に分かれてしまっているのは、人間(特にソロモン)の罪によるものであり、人間の事情によるものであって神のご計画の中で神が目指しているものではありません。ここの時点ですでに、黙示録にある新しいエルサレムの、土台が12の宝石でできた姿が出来上がっていたのです。人間の事情でいかに社会がおかしくなっても、そこに注視するのではなく、神のご計画に注視すべきことを、エリヤはこの三年半で身をもって学んできたのです。

 

そして、エリヤの祈りに応えて天から火が下り、生贄も、祭壇も、注いだ水をも焼き尽くしました。エリヤはバアルの祭司を全員処刑するように命じた後、アハブに告げます。「雨が降るから、宴会でも開いて祝いなさい。」

 

アハブはそのようにしますが、その宴会の席にはエリヤの姿がありません。というのは、まだ雨が降る保証は、主の言葉の他にはないのです。雨が降らないことには、ことが終わらず、エリヤの命も危ういのです。そこで、アハブ王が宴席にいる間、エリヤは必死に祈っています。祈ってはしもべにその様子を見に行かせます。しかし、空の様子は何も変わりません。そして7度目に、しもべは報告します。

 

「人の拳ほどの雲が海から湧き上がってきました。」

 

ひとむかし前の言葉で言うならば、「キタ〜!」ですね。そしてエリヤはアハブに告げます。

 

「宴会は中止、豪雨に足止めされないように急いで帰りなさい。

 

雨が降り、地に水が戻りました。エリヤが神の預言者であることが証明され、主が天地を司る神であることが証明されました。エリヤ、三年半お疲れ様でした!と言いたいですね!さすがにこれからはゆっくりできますね!

 

いや、そうはいかないのです。この地上に生きていると言うことは、この地上で任務があると言うことでもあるのです。次回は、「イゼベルの逆襲」です。

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