八王子バプテスト教会通信

9月4日のメッセージ 2022年9月4日

み言葉を託された者:アモス(4)

あなたの神、主が賜わる地にはいったならば、その国々の民の憎むべき事を習いおこなってはならない。あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。そしてこれらの憎むべき事のゆえにあなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。あなたの神、主の前にあなたは全き者でなければならない。あなたが追い払うかの国々の民は卜者、占いをする者に聞き従うからである。しかし、あなたには、あなたの神、主はそうする事を許されない。

申命記18:9〜14

 

イスラエルの家よ、主のあなたがたに語られる言葉を聞け。主はこう言われる、「異邦の人の道に習ってはならない。また異邦の人が天に現れるしるしを恐れても、あなたがたはそれを恐れてはならない。

エレミヤ10:1〜2

 

すなわち男、女、子供およびあなたの町のうちに寄留している他国人など民を集め、彼らにこれを聞かせ、かつ学ばせなければならない。そうすれば彼らはあなたがたの神、主を恐れてこの律法の言葉を、ことごとく守り行うであろう。また彼らの子供たちでこれを知らない者も聞いて、あなたがたの神、主を恐れることを学ぶであろう。あなたがたがヨルダンを渡って行って取る地にながらえる日のあいだ常にそうしなければならない」。

申命記31:12〜13

 

彼らは主が命じられたもろもろの民を滅ぼさず、かえってもろもろの国民とまじってそのわざにならい、自分たちのわなとなった偶像に仕えた。

詩篇106:34〜36

 

先週までは、イスラエルの中で進みつつあった社会格差、経済的不平等などについて見てきました。今週は、これがどこから発生したのかについて考えたいと思います。主はこの様に貧しい者を搾取している様子に激怒されていますが、いつ頃からこの様にする様になったのでしょうか?エジプトから出てきた時にはこの様なことが行われていませんでしたし、荒野での40年の間にもその様な行動が見られません。何度も主を怒らせましたが、その原因は「不品行」、「不従順」、「不平不満」でした。仲間を搾取したりとかいうことはありませんでした。

 

それに対して、カナンの地に入ってからは、新しい傾向が生まれました。

 

彼らがミカの家にはいって刻んだ像とエポデとテラピムと鋳た像とを取った時、祭司は彼らに言った、「あなたがたは何をなさいますか」。彼らは言った、「黙りなさい。あなたの手を口にあてて、われわれと一緒にきて、われわれのために父とも祭司ともなりなさい。ひとりの家の祭司であるのと、イスラエルの一部族、一氏族の祭司であるのと、どちらがよいですか」。祭司は喜んで、エポデとテラピムと刻んだ像とを取り、民のなかに加わった。かくて彼らは身をめぐらして去り、その子供たちと家畜と貨財をさきにたてて進んだが、ミカの家をはるかに離れたとき、ミカは家に近い家の人々を集め、ダンの人々に追いつき、ダンの人々を呼んだので、彼らはふり向いてミカに言った、「あなたがそのように仲間を連れてきたのは、どうしたのですか」。彼は言った、「あなたがたが、わたしの造った神々および祭司を奪い去ったので、わたしに何が残っていますか。しかるにあなたがたがわたしに向かって『どうしたのですか』と言われるとは何事ですか」。ダンの人々は彼に言った、「あなたは大きな声を出さないがよい。気の荒い連中があなたに撃ちかかって、あなたは自分の命と家族の命を失うようになるでしょう」。こうしてダンの人々は去って行ったが、ミカは彼らの強いのを見て、くびすをかえして自分の家に帰った。

士師記18:18〜26

 

これは、イスラエルがカナンの地に入ってから、そう長い時間が経っていない時期の話です。なぜなら、部族同士の領土の分配がまだ終わっていないからです。彼らは、カナンの人々から影響を受けたことを考えるとき、真っ先に思いつくのが偶像礼拝です。確かに、イスラエルとユダは偶像崇拝の影響を受け、これはバビロン捕囚の時代まで続きました。

 

しかし、受けた影響は偶像崇拝にとどまるものではなかった、というのが今回のポイントです。道徳面においても、日常生活の常識においても、彼らから影響を受けていました。しかも、これは長期間かけて影響を受けていったというものではありませんでした。

 

その後ほかの時代が起ったが、これは主を知らず、また主がイスラエルのために行われたわざをも知らなかった。

士師記2:10

 

イスラエルはカナンの地に入る時に、モーセの律法を守り、またそれを守ことを子供たちに教えると誓った世代の子供たちの世代でした。少なくとも、日常生活に定着する様な形では、全く教えていなかったのです。

 

そこで、今回のオープニングの聖書の箇所をもう一度振り返りたいと思います。「彼らの道に習ってはいけない」というのは、偶像崇拝のことだけではありません。道徳観も含めた、生活全般の話です。そして、特定の信仰を子供たちに教えること以上に、周囲の道徳観と異なる道徳観を子供に教えることがいかに難しいことか、クリスチャン家庭の親なら実感したことがあるでしょう。

 

「同調圧力」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは、集団で生活する人間同士に働く社会的な心理作用です。周囲がどの様に動いているかを察し、それに同調するとうまく集団に守ってもらえる、という人間の心理です。日本では、文筆家の山本七平は「空気」、という言葉で、また歴史学者の阿部謹也は「世間」という概念を用いて日本社会の同調圧力に関する考察を行っています。今の日本でも「空気が読めない」ことがとても悪いことの様に言われますが、この「同調圧力」こそが、人間社会で最も強烈は影響力のひとつなのです。

 

イスラエルの人々はカナンに入った時、そもそもそこにいる人々とは交わらず、交流することもないはずだったため、この様な誘惑もなかったはずです。しかし、イスラエルの人々はその様にすることをしなかったため、不要な誘惑を大量に身の回りに置き、結局は信仰面においても日常生活においても、感化されていってしまったのです。

 

信仰面においては、「うちは〜教だから」という方とで周囲との違いを打ち立てて生活をすることはまだできますが、道徳面での相違はそう簡単ではありません。そもそも、相手は「空気」ですから、掴みどころがない様にも思えてしまいます。しかも、周囲が明らかに極悪人ばかりであれば感化されまいと思うでしょうが、周囲が全般的に「いいやつ」であれば、その様な警戒心も持たないでしょう。

 

今回のメッセージは、最後に「むすび」ではなく、「宿題」を出したいと思います。別に提出期限はありませんが、各自考えていただき、また各家庭の中で話し合っていただきたいと思います。あわれみと正しさの両立を求められる、聖書の神が私たちに求められる道徳観と、私たちの周囲にある社会の道徳観の間には、どの様な違いがあるでしょうか?どの様な「空気」や「誘惑」が私たちに影響を与えるでしょうか?

 

『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。

マタイ9:13

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