八王子バプテスト教会通信

4月18日のメッセージ 2021年4月18日

「イェスの復活・その後:(2)ペテロ」

 

シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった。夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。

ヨハネ21:3〜19

 

あまりにも有名な箇所です。今回も私たちにとって学ぶべき点がたくさんありますが、見落とされがちな点もいくつかあります。

 

まず、ペテロが「私は漁に行く」と言った点です。釣りに行くことがそんなに特別なことでしょうか?男性たちが連れ立って釣りに行くことは、世界中どこでも行われていることではないでしょうか?いや、これはそれとは違います。

 

ペテロの「漁に行く」というのは、つまり「漁に戻る」、「稼業に復帰する」、「弟子業を廃業する」という意味だったのです。これは、実は欧米の人にはなかなか理解され難い点ですが、アジアの人ならすぐに理解できる心境です。欧米の人は、イェスが死んだと思ってみんな落胆していただろうが、よみがえったことがわかり、イェスにも会えたのだから、ますます喜びに満ち溢れて従うのではないか?と考えてしまいます。しかし、ペテロとしては、イェスが捕らえられた晩、イェスを裏切ってしまったという気持ちの方が強く残っていました。師を裏切った以上、もはや弟子と呼ばれる資格はない。しかも、あと全員が棄てて逃げようとも私だけは絶対に逃げないと勇ましく宣言しながらも簡単に逃げてしまい、その後もイェスを知ら無いと三度も口にしてしまいます。これらのことは、イェスや仲間の弟子たちに見られただけではなく、ユダヤ人やローマ兵たちにも見られてしまっています。今さら、どういう顔をして弟子を名乗ればいいのだ?この気持ちは、同じアジア人にはよくわかると思います。船と網を捨ててイェスに従ったはずが、今はイェスを捨てて船と網に戻ろうとしているのです。

 

そのペテロを、イェスが呼び戻しにやってきます。夜通しの漁のあと、明け方の暗い中、イェスが現れますが、彼らはそれがイェスであることに気づきません。漁をしている船にイェスが声をかけ、網を下ろすことを指示します。その通りにすると、一晩漁をしても獲れなかった魚が、突然、網いっぱいにかかります。その瞬間、彼らの脳裏に三年前の出来事がよぎります。

 

話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るよう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった。これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」。彼も一緒にいた者たちもみな、取れた魚がおびただしいのに驚いたからである。シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも、同様であった。すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」。そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。

ルカ5:4〜11

 

ヨハネが言います。「あれは主だ!」

その瞬間にペテロは悟ります。イェスが自分を迎えにきたのだと。船と網を仲間に任せ、フンドシ一丁では先生に失礼だろうと衣を羽織り、海に飛び込んでイェスのみもとに泳いでいきます。他の弟子たちも後から着岸して網を引き上げます。イェスはすでに炭火を起こしておられたので、獲れた魚の何尾かその炭火で焼いて朝食にします。その朝食の時間は、おそらく彼らにとって、とてつもなく気まずい時間だったに違いありません。

 

朝食が済むと、イェスはペテロに対して切り出します。

「ペテロよ、あなたは私を愛しているか?」

ペテロはギクッとしますが、返事します。

「先生、私が先生を愛していることはよくわかっているじゃないですか」

このやりとりには、日本語にも英語にも現れない、あるカラクリがあります。イェスが使っている「愛」のギリシャ語は「アガペ」、無条件の神の愛です。それに対してペテロが返している「愛」のギリシャ語は「フィレオ」、人間の友情を指す言葉です。ペテロは、自分がイェスを「アガペ」しているとは、今の心境では、どうしても口に出して言えなかったのです。この問答をイェスが三度も繰り返したので、ペテロは最後に悲しくなってしまいます。しかし、イェスは意地悪でこうしているのではなく、今からペテロに大事な覚悟を決めてもらわなければなりません。

 

ペテロは、もはや弟子と呼ばれる資格がないと考えていましたが、とんでもないことでした。これから、主のために大変重要な任務が待っていました。そしてこの時点を機に、ペテロの様子が一変します。使徒行伝2章に記録されているペテロの演説は、以前のペテロとは全く別人のようです。

 

その後も、ペテロは失敗しなかったわけではありません。ユダヤ人の目線を気遣ってパウロにダメ出しされたこともありました。しかし全体を通して、真っ直ぐに力強く歩んだ人生でした。エルサレムの教会の初代牧師を務めたあと、アンテオケの働きにたずさわり、最後はパウロと同様にローマで殉教を遂げます。

 

時は西暦64年、ローマの大火の数ヶ月後です。皇帝ネロ自らが放った火によるとされている大火ですが、ネロはその批判の矛先を他に向けようと、クリスチャンの弾圧に乗り出します。その最中で、ペテロもネロの庭園で処刑されました。その時、「お前も、お前の先生と同様に、十字架の刑にしてやろうか」と言われると、ペテロはこう答えました。

「私は、我が主と同様の刑を受ける価値がありません。十字架の刑であるならば、私を逆さまにしてください。」と、逆さ張り付けを申し出て、その通りになりました。

 

ペテロは、自分に長所や短所があることはわかっていましたが、どれがどのように主に役立つのか、あるいは主の働きの妨げになるのか、全くわかっていませんでした。だから、最初は人間の感覚でそれを見て歩もうとしたのです。その点では、私たちも全く同様です。主が私のどこをどのように用いることを望まれているのか、私たちには全くわかりません。多くの場合、私たちが考える自分の長所そのものが主に仕える上での最大の障壁です。ですから、私たちは自分の中で自分が気に入っている部分を主に捧げるのではなく、私たちの全てを主に捧げる必要があります。

「主よ、私はここにおります。私を遣わしてください。」

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