八王子バプテスト教会通信

3月15日のメッセージ 2020年3月21日

イェスの譬え話(18)「代償を計算する」(ルカ14:25〜33)

「代償を計算する」の譬え話です。この譬え話は、ふたつの譬えをもってひとつの話になっています。

ひとつは、塔を建てる、です。あなた方の誰かが塔を建てようと考えた場合、工事を始める前に予算を計算して、十分な資金があるか、確かめるだろう?そうでなければ、土台を作り終えたところで資金切れになって大損することもあるだろう?というものです。

もうひとつは、戦争です。とある王が戦いに臨む時、自分の一万の兵を以って相手の二万の兵に勝てるか、検討するだろう?万が一、分が悪そうな場合、大きな損害を出さずに済むように、早めに相手に使者を遣わして和平交渉を始めるだろう?というものです。

いずれの譬えも、自分についてきている人に対してあるメッセージを送ったものです。それは、私の弟子になりたいのであれば、何もかも自分の持っているものに背を向けて私についてくる必要がある。その覚悟はあるのか?私についてくる代償を計算したのか?

この箇所が歴史の中で時々曲解され、持ち物や家族をすべて棄てないとクリスチャンになれない、あるいは弟子になれない、という極端な思想が出てきました。確かにイェスは、ペテロたちに対して「私についてきなさい」と言いましたが、「全財産を売り払って貧しい者に施し、私についてきなさい」とは言っていません。実際、イェスがよみがえった後にペテロが漁師に戻ろうとした時、船も網もちゃんとありました。イェスは家族も財産も処分するような厳しいことは教えていません。同様に、命を捨てたりすることも命じていません。

ならば、なぜこんなに厳しい話をしたのでしょうか?ひとつの大きな要素は、イェスについて回っていた人々の姿勢にありました。イェスについて回っていた人には、本当に救われて信仰を持ち、神の言葉を聞きたくてついて回っていた人もいたでしょう。あるいは、病気を癒されて、感謝の気持ちでいっぱいだった人もいたでしょう。しかし、そうでない人たちもたくさんいたのも事実です。イェスが腐敗し切ったユダヤの政治を良いものに変えてくれるのではないか、今から近づいておこう、という人もいました。ローマ軍を追っ払ってくれるのはこのお方しかいない、今から仲良くなっておこう、という人もいました。さらに、イェスが病気を癒し、飢えている者に食糧を下さるため、一種の「無料社会福祉サービス」とみなしていた人もいました。イェスはこのような人に対して、「どうせ、また腹を満たされたいからついてきたのだろう」というような厳しい言葉を投げかけました。厳しい言葉を投げかけ続けた結果、群衆が去り、12弟子だけになることもありました(ヨハネ6章)。

また、この時代はイェスの教えやそれに従う人に対する迫害はまだ皆無でした。しかし、いつまでもそういう時代が続くわけではありません。ペテロはゲッセマネで逃げ、イェスを三度知らないといい、弟子廃業にまで他の弟子を誘いましたが、最後には主のために自分の命を捨てました。覚悟がなければできないことです。

しかし、この平和な時代に、私たちはどのすればこのような覚悟を持つことができるのでしょうか?ひとつの例が、アメフトでダラス・カウボーイズを優勝に導いた伝説のクオーターバック、ロジャー・ストーバックです。一昨年、彼はホワイトハウスで、自由勲章を授与されました。米国で一般市民が授与されうる最も高い位の勲章です。アメフト選手が自由勲章を受けるのは史上初のことです。

彼はアメフトのスーパースターになりましたが、初めからそうではありませんでした。彼は熱心なクリスチャンで、教会のことも、家族のことも、チームのことも全て誠意を持って全力で取り組もうとしました。しかし、いずれも空回りしてしまっていた、と言います。試行錯誤の中から、全てを同時に完璧にこなすのではなく、目の前にあるもにを全力で取り組むこと、そして全てにプライオリティーを設けることに行き着きました。そのプライオリティーとは、第一に神様、第二に家族、第三に仕事(チーム)、ということでした。それをきっかけに、いずれも順調進むようになったと言います。

私たちにとって最も大切なことはなんでしょうか?その代償は考えましたか?

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