み言葉を託された者:ホセア(2)
あなたがたは悪を耕し、不義を刈りおさめ、偽りの実を食べた。これはあなたがたが自分の戦車を頼み、勇士の多いことを頼んだためである。それゆえ、あなたがたの民の中にいくさの騒ぎが起り、シャルマンが戦いの日にベテ・アルベルを打ち破ったように、あなたがたの城はことごとく打ち破られる。母らはその子らと共に打ち砕かれた。イスラエルの家よ、あなたがたの大いなる悪のゆえに、このように、あなたがたにも行われ、イスラエルの王は、あらしの中に全く滅ぼされる。
ホセア10:13 〜15
ヤラべアム二世のもとでのバブル経済が終焉を迎えようとしていますが、この時のイスラエルがなぜ神の言葉を託された人々に耳を傾けなかったのかの大きなヒントが、今日の聖書の朗読箇所に含まれています。「これはあなたがたが自分の戦車を頼み、勇士の多いことを頼んだためである。」とありますが、これは戦車や兵士に限った話ではなく、国家運営、政治経済、また日常生活の全てにおいても「自力に頼った」ことの代表として語られています。悪を耕し、不義を刈り、偽りの実を食べても傲慢に振る舞えたのは、全てを自己責任で自力でやっていたからだ、という傲りの上に成り立っていた心境でした。歴史の中で、好景気やバブル経済の真っ只中にいる人々が、その実態を取り違えて傲慢に振る舞う姿は何度も記録されてきました。ここに記録されているのもそのうちのひとつです。
近代社会で最もよくこれを表したのが、ちょうど100年前のアメリカでしょう。その頃は、「狂乱の20年代」と言われ、まさにバブル経済の波に乗っていました。その時代は、産業革命や新しい科学の時代とも相まって、人類に不可能はない、という狂気じみた雰囲気に押されて経済が驚異的な伸びを示していました。一般家庭においても、新築住宅、自動車、冷蔵庫など、本来はての届くはずのないものがクレジット販売で飛ぶ様に売れ、存在しないはずのお金が実際に市場に出回っているはずのお金をはるかに上回る様な経済を作り出しました。
科学においても、ダーウインが提唱した「進化論」が神の存在を否定し、人間が神なしに自力でなんでもできるはずだ、という機運が高まっていました。技術で言えば、20世紀の当初の時点では絶対零度を作り出す、任意の分子構造の物質を作り出す、ということがすでに可能になりつつありました。
そのころの人間がどれほど自分たちの能力を過信していたかといことを表す面白いエピソードがあります。これは祖父から聞いた話なのですが、その頃は十代だった祖父が当時のニュースでこの様な意見を聞いたというのです。
「人類は完璧を極めており、発明すべきものは全て発明し尽くしたので、特許庁を廃止しても良いのではないか。」
今から考えると、いかにも愚かな発送ですが、人間はいつでもこの様な発想に至ることができるという警告でもあります。
その様な状況を見ていた私の祖母は言っていました。
「あのまま行っていたら、アメリカは確実に崩壊していた」と。
しかし、アメリカは崩壊せず、しっぺ返しが来ました。大恐慌です。全世界を経済的な大恐慌に突き落とす経済崩壊が1929年に起きました。人々はお金や持ち物を失い、物質的な富を全て引き剥がされ、率直に自らと向き合うことを余儀なくされました。その時に、世界の経済の3分の2を支配していた、「マッチ王」と言われた資本家のイーヴァル・クルーガーは1932年に自殺します。そしてその大恐慌の結果誕生したのが、アメリカの20年代の霊的な目覚め、いわゆる「リバイバル」でした。しかし、経済的には世界はその後20年間苦しむことになります。
その経験で痛手をおった世界経済がアメリカの実例から学ぶかと言えば、学びません。その50年後に起こったのが、日本のバブル経済です。これも、実際の技術的革新や好景気に押され、やはりクレジットで大量のものが売られる様になります。この時に特徴的だったのが、土地の驚異的な高騰でした。どんな土地でも投機の対象となり、金融機関もこぞって融資に乗り出しました。当時の日本企業は、ニューヨークのエンパイアー・ステート・ビルも含め、ニューヨークの土地の半分以上を所有するに至りました。
そのころの日本経済の中では、自分たちがアメリカの轍を踏むかもしれないと思っている人がいるか言えば、基本的にいませんでした。海外からのその様な指摘は、単に「やっかみ」として片付けられていました。私も、この様な話をその当時、関係者から聞かされていました。
「日本では、価値が一億円の土地に対して、銀行が百億円融資する。なぜならば、その土地にビルを建てて商売すれば、百億円の富が生まれるからだ。つまり、その土地の潜在的な価値は一億円ではなく、百億円なのだ。この様な優秀な日本の経済理論が理解できないアメリカは愚かで、そのためにニューヨークの大半を買収されてしまっているのだ。そもそも、アメリカは銀行や証券会社が倒産する様な低レベルな国で、それは日本ではありえない。」
この様な話を聞かされたのは一度や二度ではありませんでしたが、その様な発想の代価を私たちは今でも払い続けています。
結果的に、私たちが学ぶべきは、ことがうまく行っている時にそれが自分の資質ゆえにうまく行っていると勘違いするのが、民族や国家を超えた人間の弱さであるということです。当時のイスラエルもその様な罠に陥っていましたし、今日の私たちも同じ罠に陥ることもあり得るのです。自分の努力で成功したと思った時にこそ謙虚に主に感謝し、自分の姿勢に誤りがないかを見直すべきなのです。
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
箴言3:5〜6