八王子バプテスト教会通信

8月28日のメッセージ 2022年8月28日

み言葉を託された者:アモス(3)

それからベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った。「イスラエルの家のただ中で、アモスがあなたに背きました。この国は彼のすべての言葉に耐えられません。アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣によって死ぬ。イスラエルは必ず捕らえられてその土地から捕囚として連れ去られる。』」アマツヤはアモスに言った。「予見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこでパンを食べ、そこで預言するがよい。だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、ここは王国の神殿だから。」それに対してアモスはアマツヤに言った。「私は預言者ではなく、預言者の弟子でもない。私は家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。主が羊の群れを追っている私を取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と私に言われた。今、主の言葉を聞け。あなたは、『イスラエルに向かって預言するな、イサクの家に向かって戯言(たわごと)語るな』と言う。それゆえ、主はこう言われる。あなたの妻は町の中で遊女となり息子、娘たちは剣に倒れあなたの土地は測り縄で分けられあなた自身は汚れた土地で死ぬ。イスラエルは必ず捕らえられてその土地から捕囚として連れ去られる。」

アモス書7:10〜17

 

預言者に対して「予言するな」とは、なんということでしょうか!しかし、これが冒頭でアモスがイスラエルを断罪するのに語った言葉に含まれています。

 

しかし、あなたがたはナジル人に酒を飲ませ預言者に、「預言するな」と命じた。

アモス書2:12

 

国王が預言者を迫害し殺すことは想像できますし、実際にエリヤはアハブ王からの逃亡生活の長かったことが思い出されます。しかし、神の祭司から迫害を受けるというのは、どういうことでしょうか?

 

祭司、特に大祭司の様な立場の人間は、複雑な人間関係、権力関係の中にありました。国王が好き勝手にする一方で、国の宗教、経済、社会を束ねるのが祭司の仕事にもなっていました。「大祭司」そのものは南のユダにいて北にはいませんが、アマツヤが北で同様の立場にあったと推測されます。この立場は、野球で言えば国王をピッチャーとするならば祭司はキャッチャー、つまり女房役です。確立された政権に対して苦言を呈することは難しく、むしろその政権に対する不安定要素に対して、国王と一枚岩となって対峙する立場になってしまっていました。

 

そして、北のイスラエルに対しては、アモスは不安定要素以外の何物でもありませんでした。好景気のバブルの余韻が残るイスラエルの経済は、金を持っている人々の活動によって経済が回っていました。これに対するアモスの預言の言葉は、金持ちたちが貧民を搾取し、不当に扱っている点を一刀両断しています。

 

このメッセージが金持ちたちに受け入れられるかというと、受け入れられるはずがありません。では、皆が無視したかというと、決してそうではなく、貧民に喜んで受け入れられました。これでは、底辺からの突き上げが起こり、社会そのものが不安定になりかねません。外国からの脅威以前に、国内からの力で、国がひっくり返ってしまうリスクさえあります。

 

それで、アマツヤは「この国は彼のすべての言葉に耐えられない」と言ったのです。アモスの言葉を聞いていたらおかしくなってしまうという意味ではなく、アモスをこのまま野放しにして預言させておけば、国家崩壊の危機に晒される、ということでした。

 

そしてもうひとつ、祭司の立場であるアマツヤは、個人的にも懸念する事態がありました。それは、祭司の収入の財源です。旧約の律法では、国家GDPの1%が神殿の人件費に当てられることになっていました。そしてそのうちに1/10、つまり国家GDPの0.1%が、大祭司の家の人件費に当てられることになっていました。とてつもない金額が動いているのです。ここは南ユダではなく北のイスラエルですが、似た様なシステムが導入されていたはずです。景気失速や社会の混乱、庶民の納税拒否の様な自体が起これば、その結果はアマツヤの身にも直接及ぶことになります。

 

そこで、アマツヤはアモスに皮肉たっぷりの言葉を浴びせます。

 

「予見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこでパンを食べ、そこで預言するがよい。だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、ここは王国の神殿だから。」

アモス書7:12〜13

 

これのどこが皮肉なのでしょうか?まず、アモスのことを「予見者」と呼んでいます。この時代においては、「予見者」に使われている用語は、「給料をもらっているプロの預言者」という意味の単語です。つまり、「預言してメシが食いたいんであれば、お里のユダでもできるだろう」と、アモスの行動の動機を「神の言葉を伝える重荷(「アモス」とは「重荷」という意味の名前です)」から、「金のために預言している」にすり替えることで、そのメッセージ性を薄っぺらくしようとしているのです。

 

そしてもうひとつ、「ここは王の聖所、ここは王国の神殿だから」としています。もはや「神の聖所、神の神殿」とも言いません。つまり、こっちは国王を立てて社会経済を回すのに必死なんだ。それを陥れる様な、神の名を騙ったお前の金稼ぎ目的の預言に付き合ってる暇はないんだ」と一蹴しているつもりなのです。

 

しかしそれに対してアモスは、こう切り返します。

 

「私は預言者ではなく、預言者の弟子でもない。私は家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。主が羊の群れを追っている私を取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と私に言われた。

アモス書7:14〜15

 

自分がいまだに貧しい立場であり、主から託された言葉を述べているに過ぎないということを強調します。そしてさらに続きます。

 

今、主の言葉を聞け。あなたは、『イスラエルに向かって預言するな、イサクの家に向かって戯言(たわごと)語るな』と言う。それゆえ、主はこう言われる。あなたの妻は町の中で遊女となり息子、娘たちは剣に倒れあなたの土地は測り縄で分けられあなた自身は汚れた土地で死ぬ。イスラエルは必ず捕らえられてその土地から捕囚として連れ去られる。」

アモス書7:16〜17

 

この様な言葉を述べて処刑されてもおかしくありませんが、アモスがその様な目にあったという明確な記録はありません。外典には、アモスがアマツヤの息子に殺されたとも、故郷ユダに帰ってそこで生涯を閉じたとも書かれていますが、明確なことはわかりません。

 

ただ確かなのは、庶民に人気を集めていたということで、同様に庶民の人気を集めていたバプテスマのヨハネやイェスに対しても簡単に宗教指導者たちが手出しできなかったのと同じ状況があった可能性があります。ただ、アモスはいつ殺されてもおかしくない、というその様な心境で活動していたことは間違い無いでしょう。

 

来週も、引き続きアモスから見ていきます。

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