み言葉を託された者:ヨナ(2)
時に主の言葉は再びヨナに臨んで言った、「立って、あの大きな町ニネベに行き、あなたに命じる言葉をこれに伝えよ」。そこでヨナは主の言葉に従い、立って、ニネベに行った。ニネベは非常に大きな町であって、これを行きめぐるには、三日を要するほどであった。ヨナはその町にはいり、初め一日路を行きめぐって呼ばわり、「四十日を経たらニネベは滅びる」と言った。
ヨナ書3:1〜4
魚に吐き出されたヨナは、まっしぐらにニネベを目指します。ただ、ヨナ書は巨大な魚の話がメインなので、あとは単なる消化試合じゃないのか、と思われている方はいらっしゃらないでしょうか?実はヨナ書の後半にこそ、最も重要なポイントが書かれているのです。ユダヤ教ではひとつの重要なポイント、キリスト教ではふたつの重要なポイントがあると教えられています。
まず、ユダヤ教では、ヨナ書は「テシュヴァ」の教えを説いているとされています。「テシュヴァ」とは、「悔い改める、立ち返る」という意味の言葉で、ユダヤ教の中では「あがない」の中のひとつの重要なプロセスであるとされています。
ニネベに到着したヨナは、街中を行き巡りながら、「40日の後にニネベは滅ぼされる」と預言しました。「悔い改めて、悪しき道を離れよ、さもないと神はこの街を滅ぼされる」と宣告したのではありません。単に街の破壊を宣告したのです。それに対して、ニネベの人々は王から奴隷まで、全員悔い改め、神に許しを請いました。言われてではなく、教えられてではなく、自律的に悔い改めたのです。これがユダヤ教の「テシュヴァ」とされています。
ユダヤ教では、真に悔い改めた罪人は、次のことをするはずだ、と教えられています。
・その罪を認めて後悔する
・その罪を棄て去る
・その罪の因果を懸念する
・謙虚な言動
・その罪と逆な生き方をする(例えば、嘘を言ったのであれば、本当のことだけを言うようにする)
・その罪の重大さを理解する
・今後大きな罪を犯すことがないように、小さな罪をも犯さないように注意する
・その罪を神に告白する
・あがないのために祈る
・可能な限りその罪の償いをする(例えばものを盗んだのであれば、そのものを返す、あるいは弁償する、相手の許しが得られるように努力する、など)
・親切と真理の行いを心がける
・その罪を一生忘れない
・その罪をまた犯す機会があっても、それを犯さない
・他者に罪を犯さないようにと教える
キリスト教の教えと矛盾はないですね、キリスト教ではこれだけでは救われませんが。
さらに、そのように悔い改めて生きている人は、ユダヤ教では「バアル・テシュヴァ」と呼ばれ、義人よりも尊敬されます。
あれ?これはイェスの時代の状況とは違いますね?
自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
ルカ18:9〜14
イェスはこのような話をして、しばしば人々の怒りをかっていました。いつの間にユダヤ教はこのような悔い改めの教えを受け入れるようになったのでしょうか?
実はこれに至るにはとてつもなく大きな喪失があったのです。西暦70年の、ローマ軍によるエルサレムの焼き討ちです。この中で、エルサレムの神殿も完全に破壊されました。実はこの出来事も、イェスが予言されていました。
イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」。
マタイ24:1〜2
西暦66年に始まったユダヤ反乱において、ユダヤ川の極右勢力の政党いくつかがユダヤのローマからの独立を宣言し、神殿に立てこもります。この時の首謀者たちはほぼ全人ローマ軍に殺害されましたが、不穏はまだまだ続きます。西暦70年にはエルサレムの街自体がいくつかの急進派勢力に占領され、エルサレムはローマ軍に包囲されていました。5ヶ月の包囲戦の後に事態が動きます。ローマ兵たちの間には、このような噂が広がっていました。
「ユダヤ人たちはとてつもない金の財宝を蓄えている。その金は、神殿の石と石の間に隠してあるらしい。」
全く根拠のない噂でしたが、瞬く間に広がりました。当初は総力戦により大量の死者が双方に出ることを好まなかったティトス将軍(後のローマ皇帝)は軍の突入を控えさせていましたが、数日間、別の用件でローマに呼び戻され、その間に軍が動いてしまったのです。そこで、秘蔵金を探して神殿の全ての石が剥がされ、取り崩されてしまいます。この包囲戦と焼き討ちの結果、双方に合計百万人を超える死者が出たと、一世紀の歴史家ヨセフスが記録しています。またその結果、ユダヤ民族は20世紀まで、国土を持たない流浪の離散民族となってしまったのです。
この神殿の喪失は、ユダヤ教にとってはとてつもない損失でした。なぜならば、この当時のユダヤ教にとっては、神殿はいけにえをはじめ、ユダヤ教の全ての儀礼を執り行うための必要不可欠な「装置」だったからです。実際、ほぼ全ての活動の場を神殿の中に持っていたサドカイ派は、これがきっかけで実質的に消滅します。一方、社会派のパリサイ派はどうだったのでしょうか。面白いエピソードが残されています。
ユダヤ反乱後のユダヤ人たちの心を束ねたラビ、ヨハナン・ベン・ザッカイは、仲間と一緒に戦後のエルサレムの廃墟を視察していました。仲間は言いました。
「見てください、イスラエルの人々の罪をあがなった場が、瓦礫になってしまっています!」
ヨハナン・ベン・ザッカイは言いました。
「大丈夫、私たちはまだヘセドを通してあがないを得ることができる。」
ヘセド?どういうことでしょうか?
ヘセドは、実は旧約聖書を通して教えられていることですが、この時期に至るまでは比較的に軽んじられていた教えでした。愛、慈しみ、神に対する敬虔さ、真心、のような様々なニュアンスを持ち合わせる概念、つまり、真心から出る良い行いのことです。
「あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない。あなたはわたしの耳を開かれた。あなたは燔祭と罪祭とを求められない。」
詩篇40:6
「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。」
ホセア6:6
「あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげてもあなたは喜ばれないでしょう。神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。」
詩篇51:16〜17
「正義と公平を行うことは、犠牲にもまさって主に喜ばれる。」
箴言21:3
主はこう言われる、「知恵ある人はその知恵を誇ってはならない。力ある人はその力を誇ってはならない。富める者はその富を誇ってはならない。誇る者はこれを誇とせよ。すなわち、さとくあって、わたしを知っていること、わたしが主であって、地に、いつくしみと公平と正義を行っている者であることを知ることがそれである。わたしはこれらの事を喜ぶと、主は言われる」。
エレミヤ9:23〜24
旧約聖書で昔から教えられていたことですが、ユダヤ教の社会体制と宗教装置が取り上げられて破壊されるまでは人々はそれを重要視せず、自らの血筋や社会的地位にしがみついていました。この戦争を通して、彼らは偶然にか必然的にか、この悔い改めと従順の重要性を見出したのです。
しかし、彼らはこれを通して完全に神に立ち返ったかといえば、決してそうではなく、このような彼らはこの後もナザレ派(クリスチャン)に弾圧を加えています。神の過越の子羊を十字架の上に晒したままだったのです。
だから、イェスはニネベの人々を引き合いに出しているのです。ニネベの人々は、ミッションから逃げ出すような預言者ヨナであっても、その言葉を聞いて悔い改めました。しかし、旧約聖書の誰よりも偉大なバプテスマのヨハネが悔い改めを説いても、悔い改める人は限定的でした。また、ヨハネより偉大なイェスが悔い改めを説いても、彼らは悔い改めず、自らを義とする体系と装置にしがみつきました。そのため、ニネベの人々はこの時代のユダヤ人を罪に定めるに十分足る証人になるぞ、ということだったのです。
そして、最後に。私たちが自分の良い行いに自己満足することがないように、覚えておくべき点があります。それは、神は私たちに当然の如く良い行いを求められますが、その良い行いが私たちを義とするわけではありません。主だけが私たちを義とすることができるのです。
すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
ローマ6:23〜24
来週は、今日を生きる私たちのために、さらに重要なポイントを学びます。