み言葉を託された者:ヨナ(1)
そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。
マタイ12:38〜41
今日から預言者ヨナです。あまり長くないので、ひとまずヨナ書を通して読みましょう。
さて、背景です。預言者ヨナに関しては、II列王紀に記録があります。
ユダの王ヨアシの子アマジヤの第十五年に、イスラエルの王ヨアシの子ヤラべアムがサマリヤで王となって四十一年の間、世を治めた。彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。彼はハマテの入口からアラバの海まで、イスラエルの領域を回復した。イスラエルの神、主がガテヘペルのアミッタイの子である、そのしもべ預言者ヨナによって言われた言葉のとおりである。主はイスラエルの悩みの非常に激しいのを見られた。そこにはつながれた者も、自由な者もいなくなり、またイスラエルを助ける者もいなかった。しかし主はイスラエルの名を天が下から消し去ろうとは言われなかった。そして彼らをヨアシの子ヤラベアムの手によって救われた。ヤラベアムのその他の事績と、彼がしたすべての事およびその武勇、すなわち彼が戦争をした事および、かつてユダに属していたダマスコとハマテを、イスラエルに復帰させた事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。ヤラベアムはその先祖であるイスラエルの王たちと共に眠って、その子ゼカリヤが代って王となった。
II列王紀14:23〜29
ヨナのこの予言の言葉はヨナの預言としては私たちに残されているわけではありません。おそらく、私たちにとっては必要がないのでしょう。一方、ヨナ書は、私たちにとって必要なものです。一見、旧約聖書の中でも奇異なこの短編書は、実は比喩と薫陶(くんとう)がいっぱいなのです。
話はいきなり、預言者ヨナの職務放棄という、とんでもないところから始まります。しかし、これにも意味があります。ヨナの姿は、神の言葉に従わず、自らの思いに従っていた当時(紀元前8世紀あたり)のイスラエルを象徴しています。
象徴?ということは、ヨナ書の記載は象徴であって、事実ではないのか?
いや、事実です。事実であり、その事実が象徴でもあるのです。聖書の多くが、このようの事実でもあり、象徴でもあるのです。さて、本題に入りましょう。
ヨナは、「ニネベを断罪せよ」との命令を受けますが、逆方向に向かいます。ニネベというのは、現在のイラクのモスルです。イスラエルの位置からすれば、東に旅すればそう遠くないのです。ではなぜ、ヨナはこの任務を拒んだのか?明確には記されていませんが、話の端々から読み取れます。イェスの時代にも問題になっていた点ですが、ユダヤ人以外を見下すという精神構造がひとつあります。新約の時代においても、教会がユダヤ人に対する福音伝道から世界宣教に切り替えることができるまでには相当な擦った揉んだと、相当なエネルギーの浪費がありました。
それから、当時のニネベの状況もあります。力ある都市国家でしたが、残虐さで悪評が高いカルチャーもありました。古代中国の殷(いん)のような評判でした。捕らえた捕虜や政敵の生皮を剥いで惨殺するなど、主が「彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」と言われていたのはこのことです。そのような人たちに神の言葉を伝える任務は嫌だ、という思いもあったでしょうし、神の言葉を語って自分も殺されるかもしれない、という思いもあったでしょう。とにかく遠いところへ逃げようとします。
当時のフェニキア領のヨッパに行き、そこからニネベとは反対方向にできるだけ遠く離れた目的地に向かう船に乗ります。その目的地とは、タルシシとありますが、これはスペインのアンダルシア地方にあった古代都市、タルテッソスと見られています。地中海からジブラルタル海峡を越えて外海に出た、大西洋を臨む港町でした。当時からすれば、知られた世界の西の端でした。
しかし主がこれを許すはずもなく、船は大嵐に見舞われます。ここの話は聖書の通りなので端折りますが、ヨナが海に投げ込まれて、嵐が静まります。この先が大切です。主が大きな魚を用意しています。あれ、クジラではなかったのか?この点に関しては、人類が鯨やイルカを魚類ではなく哺乳類として分類するようになったのはごく最近(18世紀)になってから出会って、古代からつい近代までは魚と呼んでいました。その他にも、人間を丸呑みにできる魚もいないことはありません。
さて、三日間も魚の腹にいて、よく生きていたな?というのは当然の疑問です。どのようにして生還したのかは、正直なところ不明ですが、可能性が3通りありますので、リストアップしたいと思います。これは、ヨナが生還したことに対する3通りの見解でもあります。
1. 自然の成り行きで助かった
実際に、魚に飲み込まれて生還した人もいます。3日間とは言ってもユダヤ人の時間の考え方から行けば3日間にかかっていればいいわけで、72時間である必要はありません。30時間程度でも3日間と数えられます。ただ、30時間も息を止めていろというのは無理な話で、最低限度空気が少しでもある環境が必要です。
2. 奇跡
話の流れからすると、嵐を起こしたのも主の力、魚を使わしたのも主の力、そうすると一連の奇跡の中でヨナが助かるのも自然な流れです。奇跡を通して助かったとしても、おぞましく恐ろしい体験であったことには違いないでしょう。
3. 死んで生き返った
これも実は定説です。ヨナは魚の腹の中で窒息死して、生き返って吐き出されたというものです。「わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、あなたはわたしの声を聞かれた。」と祈っているのがその理由です。ヨナが乗っていた船の船乗りたちは、ヨナを海に投げ込んだら嵐が静まったことも見ていましたし、魚に飲み込まれたところも見たかもしれません。そしてそのヨナが生きて活動しているということになれば、地中海地方全体が騒然とするでしょう。ニネベに突然現れたヨナの予言の言葉に街中が聞き入ったというのも、納得いきます。
どの説が事実であるのかはわかりませんが、そのメッセージ、その象徴は間違いようがありません。そして、陸に吐き出されたヨナは、自分がしなければならないことがなんであるのかが明確にわかりました。真っ直ぐにニネベに向かいます。この続きはまたら来週。