八王子バプテスト教会通信

6月19日のメッセージ 2022年6月19日

み言葉を託された者:エリシャ(3)

エリシャはギルガルに帰ったが、その地にききんがあった。預言者のともがらが彼の前に座していたので、エリシャはそのしもべに言った、「大きなかまをすえて、預言者のともがらのために野菜の煮物をつくりなさい」。彼らのうちのひとりが畑に出ていって青物をつんだが、つる草のあるのを見て、その野うりを一包つんできて、煮物のかまの中に切り込んだ。彼らはそれが何であるかを知らなかったからである。やがてこれを盛って人々に食べさせようとしたが、彼らがその煮物を食べようとした時、叫んで、「ああ神の人よ、かまの中に、たべると死ぬものがはいっています」と言って、食べることができなかったので、エリシャは「それでは粉を持って来なさい」と言って、それをかまに投げ入れ、「盛って人々に食べさせなさい」と言った。かまの中には、なんの毒物もなくなった。

II列王紀4:38〜41

 

「あつもの」とは、汁の中に肉や野菜を煮込んだ、鍋料理です。日本の豚汁あたりを連想すれば良いでしょう。特に今回は、肉抜きの「野菜鍋」のようです。しかし、そこらへんに生えているものを手当たり次第に放り込んでいる様子も伺えます。これでは、「闇鍋」にも近い状況ですね。その中に、毒瓜が入ってしまったというのですが、これはキノコ鍋に誤って毒キノコが入ってしまった事故に似たものです。ところで、「毒瓜」なんてありましたっけ?あります。日本では「オキナワスズメウリ」は毒がありますし、それとは別に毎年何人もの人が、採った野生の瓜類や、自家栽培したズッキーニや瓢箪などの瓜類で中毒を起こしています。原因は、そもそも野生の瓜類に多く含まれていた苦味成分「ククルビタシン」が何らかの理由で多く含まれていたことで、短時間で激しい嘔吐や下痢を引き起こします。そのため、本来は苦くないはずの瓜を苦いと感じたら、絶対に食べるべきではない、とされているのです。今日のこの出来事も、その知識を持っていたが故に「毒が入っていることがわかったが、中毒患者は出なかった」ものと思われます。

 

話を戻しましょう。

エリシャは命じて麦粉を持って来させ、それを鍋にふると鍋の毒が無害化されたとあります。麦粉にはそのようような作用もあるのだろうか?ありません。以前にエリシャが水に塩をふったところ、水が良くなり流産が起きなくなったのと一緒で、その物質に何かの力があるのではなく、神の命令に従うことに力があることを表しているのです。

 

しかし、鍋におかしなものが入ってしまったら、作り直せば良いのでは?あるいは別のものを食べれば良いのでは?と考えてしまいます。しかし、物語の背景はそれを許しません。オープニングに、「その地に飢饉があった」から始まっているのです。食べるものに事欠いていた預言者仲間のためにエリシャが大鍋を用意して、幾らかでもみんなの空腹を満たそうとしているのです。大鍋を作っても食べれなかったら、「もったいない」とかそのようなレベルの話ではなく、「深刻な事態」なのです。

 

さて、そもそも飢饉が起きた背景です。神はかねてから預言者たちの口を通して、北のイスラエルが偶像礼拝などの悪を捨てなければ、やがて飢饉と戦争がやってくる、と警告していました。それが実現したのです。エリヤの時代には、神の預言者エリヤ対バアルの伝道者アハブ夫妻のような形があり、カルメル山での決戦により一定の結果が出ました。しかし、その後が生ぬるかったのです。

 

ユダの王ヨシャパテの第十八年にアハブの子ヨラムはサマリヤでイスラエルの王となり、十二年世を治めた。彼は主の目の前に悪をおこなったが、その父母のようではなかった。彼がその父の造ったバアルの石柱を除いたからである。しかし彼はイスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪につき従って、それを離れなかった。

II列王紀3:1~3

 

ヨラムは、バアル崇拝がさすがに間違っていた、これはイスラエルが従うべきものではない、と廃止します。しかし、そこでエホバ神に立ち返るかといえばそうではなく、イスラエルの初代国王ヤラベアムが導入した偶像崇拝に立ち返ってしまったのです。そのため、イスラエルはその後も戦争が続き、やがては離散民族になってしまうのです。

 

そのような中で、エリシャは食べ物にも事欠く人々のために動きます。仮に自分が行った預言の結果であっても、苦しんでいる人々に対しては慈愛の目を向けるのです。食べ物に関して、同じ箇所に続けてもう一件記載があります。

 

その時、バアル・シャリシャから人がきて、初穂のパンと、大麦のパン二十個と、新穀一袋とを神の人のもとに持ってきたので、エリシャは「人々に与えて食べさせなさい」と言ったが、その召使は言った、「どうしてこれを百人の前に供えるのですか」。しかし彼は言った、「人々に与えて食べさせなさい。主はこう言われる、『彼らは食べてなお余すであろう』」。そこで彼はそれを彼らの前に供えたので、彼らは食べてなお余した。主の言葉のとおりであった。

II列王紀4:42〜44

 

補足をしますと、この時のエリシャの弟子の数はおよそ2200人いたとされています。このパンをみんなに振る舞っても、100人あたりパンが1個ですよ、という話です。しかし、この限られた食物で、これだけの大人数が腹を満たしたのです。どこかで聞いたことがあるような話ですね?そうです、イェスのパンの奇跡です。

 

イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。ところが、はや時もおそくなったので、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。みんなを解散させ、めいめいで何か食べる物を買いに、まわりの部落や村々へ行かせてください」。イエスは答えて言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」。弟子たちは言った、「わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」。するとイエスは言われた。「パンは幾つあるか。見てきなさい」。彼らは確かめてきて、「五つあります。それに魚が二ひき」と言った。そこでイエスは、みんなを組々に分けて、青草の上にすわらせるように命じられた。人々は、あるいは百人ずつ、あるいは五十人ずつ、列をつくってすわった。それから、イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、二ひきの魚もみんなにお分けになった。みんなの者は食べて満腹した。そこで、パンくずや魚の残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。パンを食べた者は男五千人であった。

マルコ6:34〜44

 

この話も、イェスの深い憐れみから始まります。それが大気の庶民の共感を呼びます。ただ、イェスは優しいだけではなく、教えにおいては正しく厳しく、相手が誰であっても間違っている場合には苦言を呈しました。エリシャの時代も、非常に殺伐とした世の中でしたが、神に従う者として正しくあることと、愛し憐むことを実践した人物でもありました。

 

それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。

マタイ9:10〜13

 

私たちが生きているこの世界は、これからどのような方向に向かうのか、全くわかりません。しかし、この世が今後安定と繁栄に向かおうとも、世界秩序の底が抜けて混沌に向かおうとも、私たちは自分が置かれたところで神の前に正しくあり、そしてイェスやエリシャが人々に向けた慈愛の視線を実践していかなければならないことに変わりはありません。

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