み言葉を託された者:ソロモン(2)
ソロモンは主を愛し、父ダビデの定めに歩んだが、ただ彼は高き所で犠牲をささげ、香をたいた。ある日、王はギベオンへ行って、そこで犠牲をささげようとした。それが主要な高き所であったからである。ソロモンは一千の燔祭をその祭壇にささげた。ギベオンで主は夜の夢にソロモンに現れて言われた、「あなたに何を与えようか、求めなさい」。ソロモンは言った、「あなたのしもべであるわたしの父ダビデがあなたに対して誠実と公義と真心とをもって、あなたの前に歩んだので、あなたは大いなるいつくしみを彼に示されました。またあなたは彼のために、この大いなるいつくしみをたくわえて、今日、彼の位に座する子を授けられました。わが神、主よ、あなたはこのしもべを、わたしの父ダビデに代って王とならせられました。しかし、わたしは小さい子供であって、出入りすることを知りません。かつ、しもべはあなたが選ばれた、あなたの民、すなわちその数が多くて、数えることも、調べることもできないほどのおびただしい民の中におります。それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう」。ソロモンはこの事を求めたので、そのことが主のみこころにかなった。そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのうちにあなたに並ぶ者はないであろう。もしあなたが、あなたの父ダビデの歩んだように、わたしの道に歩んで、わたしの定めと命令とを守るならば、わたしはあなたの日を長くするであろう」。ソロモンが目をさましてみると、それは夢であった。そこで彼はエルサレムへ行き、主の契約の箱の前に立って燔祭と酬恩祭をささげ、すべての家来のために祝宴を設けた。
I列王記3:3〜15
ソロモンの国王としてのスタートは、極めて良い心構えで始まりました。欲しいものは何でも与えるから求めなさい、と神から語りかけられた時、ソロモンは富も名誉も、そして長寿も求めず、知恵を求めました。
長寿を求めないというのは、古代の支配者からすると意外なものです。古代の支配者たちは、不老長寿、不老不死を追求して止みませんでした。特に有名なのは、秦の始皇帝です。不老不死に生涯執着しました。近年になって、秦の始皇帝が不老不死の薬を探すように各地に命じた布告の木簡も見つかっています。しかし、そのような努力も虚しく、紀元前210年に、旅の途中で50歳と言う平凡な年齢で急死します。
また、わずか32歳の若さで、当時の知れていた全世界を征服したアレキサンダー大王も、伝説の「若返りの泉」を探すことに労力を注ぎました。しかし、世界征服の直後に急死し、築き上げた帝国も散り散りとなりました。なんと虚しいことでしょう。
さて、ソロモンの言う「出入りすることを知りません」と言うのは、「基本的なことも全くわかっていません」と言う意味のフレーズです。ソロモンは腹違いの兄たちが次々と国王になろうとしてくる様子を見ながら育って来ました。そのような経緯の中で、一つ間違えれば自分も家族も抹殺されかねないことも理解していました。ダビデはバテシバに対して、「ソロモンを王位に就かせよう」と口約束していたようですが、状況はそのように運ぶどころか、真逆の様相でした。まさか、このようなどんでん返しで自分が国王になろうとは、夢にも思わなかったでしょう。突然放り込まれた王位継承、これからの国政をどうしていけばいいのか、皆目検討もつかなかったのかも知れません。少なくとも、ダビデから帝王学を叩き込まれたわけではないことは確かです。あまりにも偉大な父ダビデから、心の準備がなかったソロモンに王位が渡されたのです。だから、ソロモンのこの言葉は、社交儀礼や自己卑下ではなく、本心からの魂の叫び声だったのだと思います。
この返事を良しとされた神は、その知恵に加え、富と名誉も存分に与えるとされました。その結果、ソロモンの知恵と偉業を知らない人は、この地上にほとんどいないでしょう。聖書外の多くの話が逸話であったり伝説であるにしても、全人類にこれだけの影響を与えた人物は他には数える程しかいません。
しかし、ソロモンがこの道にまっすぐ歩まなかったことは周知の通りです。その背景を知ることができるのが、今日の聖書の箇所の中にあります。
ソロモンは主を愛し、父ダビデの定めに歩んだが、ただ彼は高き所で犠牲をささげ、香をたいた。
I列王記3:3
この理由が、実は直前に書かれています。
そのころまで主の名のために建てた宮がなかったので、民は高き所で犠牲をささげていた。
I列王記3:2
「高き所」というのは、カナン地方の民族が礼拝に利用していた地形です。モーセ五巻では、偶像礼拝を意味することに使われているのがほとんどです。しかし、ダビデ亡き後も、人々は神の会見の幕屋以外には、礼拝する場所がなかったという理由で、周囲のカナン人の風習に倣って、高き所でエホバに礼拝を捧げていたということです。この事の危うさ自体、既に感じられるでしょう。
そして今回の夢によるお告げの場所は、ギベオンの高き所にソロモンが一千の燔祭を捧げに行っているときのことでした。その夢によるお告げを受けたソロモンは、どうしたでしょうか?ギベオンの高き所でさらに礼拝を続けたでしょうか?いや、エルサレムに直帰して、契約の箱の前で礼拝します。ちゃんとわかっていたのです。ちゃんとわかっていたのですが、「みんながやっているから」「こうすればうまくいくから」の原理に弱かったようです。これが後にとんでもない災いを招くのです。
ソロモンの失敗から学ぶのはまた今後として、今日はソロモンの良い返答から学ぼうと思います。何を手に入れるにしても、知恵があるかないかで、その後が大きく変わっていきます。ちなみに、「知恵」と「知識」とは同じではありません。知識は、単なるデータですが、知恵とは、その知識をどのように活用すれば良いのかのノウハウです。ですから、いわゆる「おばあちゃんの知恵」というのは、莫大なデータを蓄積したものではなく、例えば食材や洗剤などの性質を理解した、ちょっとした使い方のコツだったりします。
知恵があるかないかで、同じお金を手にしても散財するのか蓄財するのかが変わって来ます。知恵があるかないかで、同じ境遇にあっても敵を増やすのか仲間を増やすのかが変わって来ます。知恵があるかないかで、同じ事業をするにあたっても、自滅するのか成功するのかが変わって来ます。
ソロモンは、神からいただいた富と力と知恵を持って、様々な活動を精力的に行っていきます。国を強大にし、父ダビデの時代には戦争に明け暮れた国土に泰平の世をもたらします。世界中に貿易路を作り、自国だけではなく世界中にその富の恩恵をもたらします。インドの南西海岸の港市コーチンは、ソロモンが築いた貿易港とされ、インドで最も古いユダヤ人社会が定着しています。インドのケララにもソロモンが頻繁に船を寄せていたようです。このような町があったお陰で、北イスラエルが国を追われたとき、また南のユダヤがバビロンに移されたとき、多くのユダヤ人が脱出してユダヤ人としての生活と信仰を継続することができたのです。シバ(アラビヤ半島からアフリカ大陸に及ぶ古代国家)の女王がソロモンの栄華の噂を聞き、その噂の半分でも本当ならばそれは凄いことだと自分の目で確かめに来たとき、「私はこの富の半分も聞かされていなかった」と打ちのめされたほどです。
しかし、ソロモンは本当に主から頂いた知恵だけではなく、人間の思いによる「悪知恵」によってことを進めていたことも見て取れます。
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。
箴言3:5〜7
老後のソロモンは、必ずしもこのように生きてこなかったことを後悔していることが言葉の端々から読み取れます。次回はこの点を考えます。一方、私たちの知恵がソロモンの知恵の百万分の一に満たなくても、私たちの富がわずかであっても、私たちがそれぞれの立ち位置で任されたものを扱うに十分です。主に頼って、信仰のうちに日々を過ごしましょう。