み言葉を託された者:ソロモン(1)
ダビデの死ぬ日が近づいたので、彼はその子ソロモンに命じて言った、「わたしは世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくなければならない。あなたの神、主のさとしを守り、その道に歩み、その定めと戒めと、おきてとあかしとを、モーセの律法にしるされているとおりに守らなければならない。そうすれば、あなたがするすべての事と、あなたの向かうすべての所で、あなたは栄えるであろう。また主がさきにわたしについて語って『もしおまえの子たちが、その道を慎み、心をつくし、精神をつくして真実をもって、わたしの前に歩むならば、おまえに次いでイスラエルの位にのぼる人が、欠けることはなかろう』と言われた言葉を確実にされるであろう。
I列王紀2:1〜4
今日からソロモンについて考えますが、ソロモンが王になるにあたって、かなり父ダビデの尻拭いをすることになります。ダビデがいい加減な子育てをしたおかげで国政が混沌としています。ソロモンの腹違いの兄アブサロムによるクーデタ、内戦も起こりましたし、今日の箇所の直前にはイスラエル史上初の宮廷革命(側近や身内による無血クーデター)が、やはりソロモンの腹違いの兄であるアドニヤによって起こされます。I列王紀の第1章をお読みください。
I列王紀1:1〜4は、その後の展開に全く関係がないように読めてしまうのですが、実は隠語が使われていて、関係が大有りなのです。ここでの「暖まらない」というのは、「体温が上がらない」という意味ではなく、「正室・側室等との行為を通して子孫を残すことができなくなった」ことを言っている隠語なのです。当時の世界では、王が子孫を残せる間は求心力が保てますが、子孫を残せなくなると急激に求心力が失われていきます。それで、側近たちは大慌てで美女を探して来て期待したのですが、結局ダメでした。
それを見たアドニヤは、今が求心力を自分に引き寄せるチャンスだと悟ります。そこで、既成事実を作ってしまい、ダビデに近い側近たちが気づいた頃にはすでに時遅し、という形で運ぼうとします。なぜ正式なルートを通さなかったのでしょうか?アドニヤは亡きアブサロムに次いで生まれたので、順番から行くと王位継承一位のポジションにいます。しかし、ダビデの側近で自分をよく思っていない人も少なくないことを知っているので、正面からことを進めて失敗した場合、王になる機会を失うどころか、今持っているものも全て失いかねません。そこで一応、ダビデの側近たちに自分が国王になるつもりである旨を告げ、反応がよかったヨアブと祭司アビヤタルの協力を得て、反応がよくなかった他の者には秘密裏にことを進めることにしました。なぜ、ダビデの子供たちはこうも、身勝手なことばかりするのでしょうか?
子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。
箴言22:6
愚かなことが子供の心の中につながれている、懲らしめのむちは、これを遠く追いだす。
箴言22:15
厳しい子育ての必要性は、ソロモンがよくわかっていました。ただ、ダビデとは違う形ではあれ、ソロモンも子育てに失敗してしまい、その結果、国を二分してしまいます。しかし、ソロモン本人はきちんとした育ちをしていたようです。なぜソロモンだけが大丈夫だったのでしょうか?ダビデは自分の息子たちを懲らしめたり叱ったりすることを許さなかったはずです。
その背景には母バテシバの存在があります。ソロモンはバテシバが育てたと見られています。そして、ダビデはあの一件の結果、バテシバには全く頭が上がりません。バテシバがソロモンを「その行くべき道に従って」しつけても、ダビデは口が挟めません。そう考えると、バテシバは相当な人格者であることがわかります。自分の夫を戦死させられ、恨んでも恨み切れないはずですが、ダビデの他の息子たちの様子を見て、この国のためにまともな後継者を育てられるのは私しかいない、と自負したのかもしれません。
いずれにせよ、預言者ナタンとバテシバの気を利かせた迅速な行動により、宮廷革命が始まってからわずか5時間でソロモンの戴冠が完了していました。無血クーデターは失敗に終わり、首謀者アドニヤは神殿で命乞いをし、協力者たちは蜘蛛の子を散らすように消え去りました。
最後の言葉をソロモンにかけるダビデは、自分が様々な宿題をソロモンに残してしまっていることがよくわかっていました。また、誘惑に負けずに主の前に正しいことをすると、時には苦しくても、最終的には報われることもよくわかっていました。この言葉を受けて国を受け継いだソロモンは、神に従って歩みさえすれば全てが祝福される環境も受け継いだことになります。しかし、そこまで環境が整えられていても、まっすぐ歩まないのが人間の弱さです。さて、ソロモンの支配はどのようなものになるでしょうか?