み言葉を託された者:ダビデ(2)
ダビデはかたわらに立っている人々に言った、「このペリシテびとを殺し、イスラエルの恥をすすぐ人には、どうされるのですか。この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか」。民は前と同じように、「彼を殺す人にはこうされるであろう」と答えた。上の兄エリアブはダビデが人々と語るのを聞いて、ダビデに向かい怒りを発して言った、「なんのために下ってきたのか。野にいるわずかの羊はだれに託したのか。あなたのわがままと悪い心はわかっている。戦いを見るために下ってきたのだ」。ダビデは言った、「わたしが今、何をしたというのですか。ただひと言いっただけではありませんか」。またふり向いて、ほかの人に前のように語ったところ、民はまた同じように答えた。人々はダビデの語った言葉を聞いて、それをサウルに告げたので、サウルは彼を呼び寄せた。ダビデはサウルに言った、「だれも彼のゆえに気を落してはなりません。しもべが行ってあのペリシテびとと戦いましょう」。サウルはダビデに言った、「行って、あのペリシテびとと戦うことはできない。あなたは年少だが、彼は若い時からの軍人だからです」。しかしダビデはサウルに言った、「しもべは父の羊を飼っていたのですが、しし、あるいはくまがきて、群れの小羊を取った時、わたしはそのあとを追って、これを撃ち、小羊をその口から救いだしました。その獣がわたしにとびかかってきた時は、ひげをつかまえて、それを撃ち殺しました。しもべはすでに、ししと、くまを殺しました。この割礼なきペリシテびとも、生ける神の軍をいどんだのですから、あの獣の一頭のようになるでしょう」。ダビデはまた言った、「ししのつめ、くまのつめからわたしを救い出された主は、またわたしを、このペリシテびとの手から救い出されるでしょう」。サウルはダビデに言った、「行きなさい。どうぞ主があなたと共におられるように」。
Iサムエル17:26〜37
ここには、分量の関係からIサムエル17章の一部だけを掲載していますが、お手元の聖書でIサムエル17を通してお読みください。
まず、気になるのが、ゴリアテを倒したダビデが誰であるのか、サウルが「あの子は誰だ、調べて来い」と命令している点です。直前の16章で、すでに琴弾きとして雇っているのではないか?しょっちゅう会っているのではないか?サウルはボケたのか?という疑問が出てきます。
ここで、旧約聖書を読む上での重要なポイントがあります。それは、記録されている出来事が、必ずしも時系列どおりに記載されておらず、話すが前後することが頻繁にあるということです。福音書においても、幾らか同じ状況がありそうです。なるほど、そういう文体のスタイルなんだな、と考えれば良いのですが、過去にはこのスタイルが原因で聖書の信憑性を問う神学者もいました。19世紀半ばから20世紀半ばにもてはやされた「高等批判」とか「ドイツ神学」とか言われる神学体系は、「最新の理解で聖書を批判的に解剖する」といった試みでした。その結果、聖書の文体は19〜20世紀の文学のルールに従っていないため、レベルが低く、神の言葉と呼ぶには相応しくない、と判断されたのです。
これは、とてつもない無知であり傲慢です。それ以降の研究の進歩で、古代文明がどれだけ高いレベルの文学や数学を持っていたのかが徐々に解明されるようになりました。進化論を前提にした考え方の誤りが次々と明るみに出て、「英知の時代」と豪語されていた時代がいかに厚顔無恥であったのかが後に知れるのです。
歴史の分野では、「旧約聖書に登場するアッシリアは歴史上に記録されていない。旧約聖書の歴史を信用することはできない」というのが高等批判の立場でしたが、その後の考古学敵発見により、古代の超大国であったことが判明しました。また、「イスラエルのダビデ王は歴史的根拠がなく、架空の人物」としていましたが、1993年に、イスラエル北部のテル・ダン遺跡から、当時のシリアの国王ハザエルが「イスラエルの王とダビデの家の王」に勝利したという、聖書の記載通りの記載の「テル・ダン碑文」が発見されました。このように、自分が知らないことは事実ではないという、19〜20世紀半の傲慢さが浮き彫りになったのです。
また文学でも、今では全てを時系列通りではなく時系列の中を話が行き来する表現方法も見直されています。特に、アメリカの文豪、ジョセフ・ヘラーが1961に発表した小説、「キャッチ=22」は、最初から最後まで時系列の中を止めどもなく行き来することが特徴の作品ですが、低レベルとは評価されず、「堂々巡りの状況での戦争を、混乱した時間軸のなか幻想ともユーモアともつかない独特の筆致で描いた戦記風の物語」と、高く評価されています。それに対して、「時系列通りでないものは低レベル」とした高等批判の稚拙さが際立ちます。
さて、話をIサムエルに戻しましょう。時系列通りの記載でなければ、17章の記載はどこに置けば良いのでしょうか?
大半の見解では、Iサムエル16:13とIサムエル16:14の間に入るというものです。つまり、全体の流としては、
・ダビデがサムエルから国王としての注ぎを受ける
↓
・ゴリアテとの一戦
↓
・サウルに琴弾きとして召抱えられる
という形になります。17:15でダビデがサウルのところにいるというのは、直接琴弾きとして雇われていた時期ではなく、若い頃から街の護衛として駆り出される周辺住民の一人であって、サウルには直接会っていないものと考えられます。そうなると、琴弾きとして召される時に、「なんだ、あの時の君か!琴も弾けるなんて、すごいな!」という流れも読めますし、ダビデが戦場に弁当を届けた時の兄たちの冷たい態度も納得がいきます。
さて、本題です。青年ダビデが父親に頼まれ、兵役についている兄たちに弁当を届けにいきます。そこで目にした光景は、対峙した両陣営の間に立ち、イスラエルの神の名を汚す口調でイスラエルを挑発するゴリアテの姿でした。ダビデには、率直な疑問が湧いてきました。
「なぜ、あいつを放置する?」
そこで、ことの真実を突き止めようと、色々と聞いて回ります。そうすると、相手は一対一の代表者勝負を要請している。これに応えてゴリアテを倒すことが出来る者がイスラエル側にいれば、王はその者にお姫様を妻として与え、その上、一族の税を免除にする、というものでした。簡単な話です。では、なぜ誰もやらないのか?そこには、ある「大人の事情」がありました。それは、
・強すぎる
ということでした。非常に単純な話です。そのために、イスラエル軍は手出しができなかったのです。では、ルールを変えたらどうだろう、一人に対して数百人で立ち向かえば勝てるのでは?寝込みを襲う不意打ちとかは?毒殺できないのか?新兵器か何かで倒せないのか?という考え方は卑怯で考慮すべきではないのでしょうか?
当然考えられますが、ここで本質的な「大人の事情」が見えてきます。一対一で対決して負けた場合、ペリシテの従者になりますが、おそらく全員の命は助かります。対決した一人を除いては。しかし、姑息な手段で本格的にペリシテを怒らせてしまった場合、イスラエルにとっては圧倒的に不利な状況がありました。それは、ペリシテは「海の民」の一角、製鉄技術を持っていました。一方、当時のイスラエルはまだ青銅文化です。兵器のレベルとしては決定的な違いです。そのため、イスラエルは総力戦をなんとしてでも避けたいところでした。しかし、ゴリアテに対決させるふさわしい人物が見当たりません。
一方ダビデは、そのような大人の事情を汲むつもりはありません。ダビデにとって重要なことは、ただ一つ。
・神の名が汚されている、やめさせなければ。
というものでした。相手がイスラエルの神の存在を知らないのであれば、それは周囲の国のどこでも不思議ではないこと、しかしこのゴリアテはイスラエルの神の名を汚している。これを放っておくこと自体許されない。これがダビデの行動を駆り立てます。色々と聞き回っているうちに、その行動が兄たちに知られてしまい、怒りをかいます。兄たちはダビデがサムエルからの注ぎを受けていることをよく思っているはずがありません。
「こっちは命がかかっているのに、お前は面白半分で高みの見物にやってきたのか、くそガキが!」
しかし、ダビデの行動は、他の人物の耳にも入ります。サウルです。早速ダビデが呼び出されます。ここからの流れはあまりにも有名ですので、特段解説はしませんが、ダビデが羊飼いの「石投げ」で奇襲攻撃を仕掛けたという考え方には問題があります。この「石投げ」は、古代から広く使われていました。古代エジプトの壁画にも、戦争のシーンで「石投げ」を持った「石投げ部隊」が描かれています。
「石投げ」を兵器として使うには、いくつかの要素があります。ひとつには誰でも簡単に作れ、コストが安いということがありました。貧しい羊飼いが野獣を遠くから威嚇して追い払ったり、場合によっては倒したりするのに最適な道具のひとつでした。
また、「石投げ」は私たちが想像する以上に破壊力があります。
鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)では、モンゴル勢はこの「石投げ」と炸裂弾(「陶器や鉄の容器に爆薬を詰めたもの、現代の「手榴弾」の原型)を組み合わせた「鉄火砲」を使用しました。
しかし、「石投げ」が世界の戦争で大活躍したという記録はあまりありません。それは、「石投げ」の「作り易く、使い難い」という特徴のためです。石を放るだけならば、誰でも数時間の練習でできるようになりますが、正確に、しかも破壊力を持って的を射ることができるようになるには、相当な訓練が必要です。そこまで上達するに要する訓練を、通常は「できない」というよりは単に「やらない」のです。
さて、今日のダビデについて話をまとめていきましょう。ひとつ目のポイントは、ダビデの心です。神の名が汚されている状況を、許せませんでした。どんな「大人の事情」があっても、許せませんでした。「仕方ない」「しょうがない」にはならなかったのです。実は、主が私たちに求めておられるのは、このような心です。エゼキエル9章に、神がエルサレムを罰せられる様子がこのように書かれています。
時に彼はわたしの耳に大声に呼ばわって言われた、「町を罰する者たちよ、おのおの滅ぼす武器をその手に持って近よれ」と。見よ、北に向かう上の門の道から出て来る六人の者があった。おのおのその手に滅ぼす武器を持ち、彼らの中のひとりは亜麻布を着、その腰に物を書く墨つぼをつけていた。彼らははいって来て、青銅の祭壇のかたわらに立った。ここにイスラエルの神の栄光がその座しているケルビムから立ちあがって、宮の敷居にまで至った。そして主は、亜麻布を着て、その腰に物を書く墨つぼをつけている者を呼び、彼に言われた、「町の中、エルサレムの中をめぐり、その中で行われているすべての憎むべきことに対して嘆き悲しむ人々の額にしるしをつけよ」。またわたしの聞いている所で他の者に言われた、「彼のあとに従い町をめぐって、撃て。あなたの目は惜しみ見るな。またあわれむな。老若男女をことごとく殺せ。しかし身にしるしのある者には触れるな。まずわたしの聖所から始めよ」。そこで、彼らは宮の前にいた老人から始めた。この時、主は彼らに言われた、「宮を汚し、死人で庭を満たせ。行け」。そこで彼らは出て行って、町の中で撃った。さて彼らが人々を打ち殺していた時、わたしひとりだけが残されたので、ひれ伏して、叫んで言った、「ああ主なる神よ、あなたがエルサレムの上に怒りを注がれるとき、イスラエルの残りの者を、ことごとく滅ぼされるのですか」。主はわたしに言われた、「イスラエルとユダの家の罪は非常に大きい。国は血で満ち、町は不義で満ちている。彼らは言う、『主はこの地を捨てられた。主は顧みられない』。それゆえ、わたしの目は彼らを惜しみ見ず、またあわれまない。彼らの行うところを、彼らのこうべに報いる」。時に、かの亜麻布を着、物を書く墨つぼを腰につけていた人が報告して言った、「わたしはあなたがお命じになったように行いました」。
エゼキエル9章
ここで神の怒りの対象となっているのは、町で行われている罪に参加している者だけではなく、またそれを良しとしている者だけではなく、その状況を嘆き悲しまない全ての人です。罪を嘆き悲しまないこと自体を、主は同罪と見なさているのです。「大人の事情」で「仕方ない」とするのは、私たちが普段考える以上に大きな罪のようです。それができないダビデは、いてもたってもいられなくなり、行動に出ました。
そして、もうひとつ。その時に、ダビデは行動を起こす用意ができていました。訓練ができていました。つまり、整えられた、用意された人材だったのです。羊飼いとしての長い時間を無駄にせず、訓練に励んだため、いざというときに用いられたのです。
さて、私たちはどのように自らを用意して整えれば良いのでしょうか?まさか街中で石投げの練習をするわけにもいきません。それは単に「危ない物好き」でしかありません。私たちはそれぞれ異なる賜物が与えられ、それぞれ違う立場にいるので、用意するものもそれぞれ異なります。しかし、全員に共通するものがひとつあります。それは御言葉の剣、というものです。このシリーズの最初に登場した聖句をもう一度振り返りましょう。
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
IIテモテ3:16〜17