み言葉を託された者:サムエル(4)
さてサウルが来る一日前に、主はサムエルの耳に告げて言われた、「あすの今ごろ、あなたの所に、ベニヤミンの地から、ひとりの人をつかわすであろう。あなたはその人に油を注いで、わたしの民イスラエルの君としなさい。彼はわたしの民をペリシテびとの手から救い出すであろう。わたしの民の叫びがわたしに届き、わたしがその悩みを顧みるからである」。サムエルがサウルを見た時、主は言われた、「見よ、わたしの言ったのはこの人である。この人がわたしの民を治めるであろう」。
Iサムエル9:15〜17
さて、サムエルは民をミヅパで主の前に集め、イスラエルの人々に言った、「イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはイスラエルをエジプトから導き出し、あなたがたをエジプトびとの手、およびすべてあなたがたをしえたげる王国の手から救い出した』。しかしあなたがたは、きょう、あなたがたをその悩みと苦しみの中から救われるあなたがたの神を捨て、その上、『いいえ、われわれの上に王を立てよ』と言う。それゆえ今、あなたがたは、部族にしたがい、また氏族にしたがって、主の前に出なさい」。こうしてサムエルがイスラエルのすべての部族を呼び寄せた時、ベニヤミンの部族が、くじに当った。またベニヤミンの部族をその氏族にしたがって呼び寄せた時、マテリの氏族が、くじに当り、マテリの氏族を人ごとに呼び寄せた時、キシの子サウルが、くじに当った。しかし人々が彼を捜した時、見つからなかった。そこでまた主に「その人はここにきているのですか」と問うと、主は言われた、「彼は荷物の間に隠れている」。人々は走って行って、彼をそこから連れてきた。彼は民の中に立ったが、肩から上は、民のどの人よりも高かった。サムエルはすべての民に言った、「主が選ばれた人をごらんなさい。民のうちに彼のような人はないではありませんか」。民はみな「王万歳」と叫んだ。
Iサムエル10:17〜24
明くる日、サウルは民を三つの部隊に分け、あかつきに敵の陣営に攻め入り、日の暑くなるころまで、アンモンびとを殺した。生き残った者はちりぢりになって、ふたり一緒にいるものはなかった。その時、民はサムエルに言った、「さきに、『サウルがどうしてわれわれを治めることができようか』と言ったものはだれでしょうか。その人々を引き出してください。われわれはその人々を殺します」。しかしサウルは言った、「主はきょう、イスラエルに救を施されたのですから、きょうは人を殺してはなりません」。そこでサムエルは民に言った、「さあ、ギルガルへ行って、あそこで王国を一新しよう」。こうして民はみなギルガルへ行って、その所で主の前にサウルを王とし、酬恩祭を主の前にささげ、サウルとイスラエルの人々は皆、その所で大いに祝った。
Iサムエル11:11〜15
話を少し巻き戻しますと、サムエルは二人の王を立てたキングメーカーでもありましたが、それは決してサムエルが当初望んだことではなく、自らの落ち度により息子たちに地位を継がせることができなかった結果なのです。そのため、自らが王を立てるという、全く以て不本意な仕事をしなければなりませんでした。しかも、その王というのは必ずしも良い王ではありませんでした。彼が誤った道を歩み、そのために神に罰せられるときも、預言者として一緒に歩まなければなりません。しかしサムエルの場合、それは「身から出た錆」の様なものでした。観念してその道を進まなければなりません。神はいずれ、イスラエルに王を与えることになったでしょうが、サムエルが自らの手でそれを執り行わなければなりません。
もっとも、イスラエルも神も、王を立てることに大賛成の状態です。しかし、目論見は大きく異なります。イスラエルはカッコ良くて強い王が欲しいのです。他国にも引けを取らない様なカッコいい王に先導され、戦いに勝ち、国を豊かにしたいのです。一方、神は、イスラエルが望む様な王を与えることにより、自分たちが望む肉の思いがどの様な儚い性質のものか、教訓を学ばせようとされています。
実際にサウルが王になった直後に軍隊を率いてイスラエルに勝利をもたらします。その直後、サウルが王になることを当初望まなかった人々を引きずり出して殺せ、という声が民から上がります。それを鎮めたのが、サウルの一声です。
「主はきょう、イスラエルに救を施されたのですから、きょうは人を殺してはなりません。」
自らが恩赦を与えたのです。かっこいいですね!いい奴じゃないですか!
実際、世の中の「暴君」と言われる人は皆、幼少期から暴君だったのではなく、当初はものすごく良い人だったり、人間的にすごく「いい奴」だったりしました。例えば、皇帝ネロはその暴君ぶりで有名ですが、当初はものすごく優しい人物でした。皇帝になったあと、最初の仕事は、一人の強盗の処刑執行の書類に署名することでした。優しいネロは泣き崩れて、執務を実施できなかったそうです。しかし、ローマ皇帝という頂点に上り詰めた後は、彼は周囲が自分の立場を狙っているのではないか、という妄想に駆られる様になります。この妄想が日に日に強まり、彼は身内に対しても疑心暗鬼になっていきます。自分の親、兄弟、恩師をも陰謀者として投獄したり処刑したりしました。最後には、クリスチャンを逮捕しては簀巻きにして油を注ぎ火をつけて、これを庭園の松明代わりに使う狂人へと変貌していきます。権力のストレスに破壊された人格の良い例です。
日本の戦国武将、秀吉も似た様な過程を経ていきます。そして、サウロもその道に入っていってしまいます。彼は実は良家の出で、身体的にも魅力的な人物でしたが、自分がベニヤミンの部族(士師記の最後の血みどろの内戦を引き起こした部族)の生まれであることにひどい劣勢コンプレックスを持っています。その上に、滅多に例を見ない小心男でした。小心男というのは、人前に出る以上は、「なめられないように」威勢を張らなければならないと感じてしまいます。相手を自分の上に立たせてしまうことがない様に、力で抑え込まなければならないという心理が働きます。いずれ、ダビデというニューフェースが現れ、サウロはこの自己破壊の道を突き進み、最後には息子ヨナタンと共に戦場に散ります。イスラエルが望んだ「カッコいい王」の終末です。
しかし、その前からも、神はサウルを王として失格者として退けます。これを決定づけたのが、アマレクとの戦いの時でした。神の命令は、家畜などのぶんどり物は取らず、全て滅ぼすというものでした。サウルはこのことを十分に承知していましたが、民の間では決して人気のある政策ではありませんでした。そこでサウルは、民に嫌われることを恐れ、民に取らせてしまったのです。金銭に頼る人は金銭のなし得ることを超えることができず、学問に頼る人は学問のなし得ることを超えることができないのと同様、人気に頼るサウルは人気のなし得ることを超えることができなかったのです。
サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。サウルはサムエルに言った、「わたしは主の命令とあなたの言葉にそむいて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。どうぞ、今わたしの罪をゆるし、わたしと一緒に帰って、主を拝ませてください」。サムエルはサウルに言った、「あなたと一緒に帰りません。あなたが主の言葉を捨てたので、主もあなたを捨てて、イスラエルの王位から退けられたからです」。こうしてサムエルが去ろうとして身をかえした時、サウルがサムエルの上着のすそを捕えたので、それは裂けた。サムエルは彼に言った、「主はきょう、あなたからイスラエルの王国を裂き、もっと良いあなたの隣人に与えられた。またイスラエルの栄光は偽ることもなく、悔いることもない。彼は人ではないから悔いることはない」。サウルは言った、「わたしは罪を犯しましたが、どうぞ、民の長老たち、およびイスラエルの前で、わたしを尊び、わたしと一緒に帰って、あなたの神、主を拝ませてください」。そこでサムエルはサウルのあとについて帰った。そしてサウルは主を拝んだ。
Iサムエル15:22〜31
そして、このふたりは二度と会うことはありませんでしたが、サムエルは最後までサウルのことが重く胸にのしかかっていました。神のみ言葉を預かる者は、良い話、楽しい話ばかりを託される訳ではないのです。そしてこれと並行して、神はサウルと対比する「神の御心にかなう者」、つまりダビデを用意していました。来週の話です。