み言葉を託された者:ヨシュア(4)
しかし、ギベオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイにおこなったことを聞いて、自分たちも策略をめぐらし、行って食料品を準備し、古びた袋と、古びて破れたのを繕ったぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、繕った古ぐつを足にはき、古びた着物を身につけた。彼らの食料のパンは、みなかわいて、砕けていた。彼らはギルガルの陣営のヨシュアの所にきて、彼とイスラエルの人々に言った、「われわれは遠い国からまいりました。それで今われわれと契約を結んでください」。しかし、イスラエルの人々はそのヒビびとたちに言った、「あなたがたはわれわれのうちに住んでいるのかも知れないから、われわれはどうしてあなたがたと契約が結べましょう」。彼らはヨシュアに言った、「われわれはあなたのしもべです」。ヨシュアは彼らに言った、「あなたがたはだれですか。どこからきたのですか」。彼らはヨシュアに言った、「しもべどもはあなたの神、主の名のゆえに、ひじょうに遠い国からまいりました。われわれは主の名声、および主がエジプトで行われたすべての事を聞き、また主がヨルダンの向こう側にいたアモリびとのふたりの王、すなわちヘシボンの王シホン、およびアシタロテにおったバシャンの王オグに行われたすべてのことを聞いたからです。それで、われわれの長老たち、および国の住民はみなわれわれに言いました、『おまえたちは旅路の食料を手に携えていって、彼らに会って言いなさい、「われわれはあなたがたのしもべです。それで今われわれと契約を結んでください」』。ここにあるこのパンは、あなたがたの所に来るため、われわれが出立する日に、おのおの家から、まだあたたかなのを旅の食料として準備したのですが、今はもうかわいて砕けています。またぶどう酒を満たしたこれらの皮袋も、新しかったのですが、破れました。われわれのこの着物も、くつも、旅路がひじょうに長かったので、古びてしまいました」。そこでイスラエルの人々は彼らの食料品を共に食べ、主のさしずを求めようとはしなかった。そしてヨシュアは彼らと和を講じ、契約を結んで、彼らを生かしておいた。会衆の長たちは彼らに誓いを立てた。
ヨシュア記9:3〜15
アイでの勝利の後、ヨシュアは見事な将軍ぶりを発揮し、主の指導の元に連戦連勝を重ねていきます。いくつもの民族や都市国家が連盟を組みイスラエルに挑みますが、破れ去ります。しかし、都市国家ギベオンは、違う策に出ました。
まず、主がイスラエルのために戦っていたので、イスラエルはとてつもない強敵であるという情報を得ていました。そうなると、自らにとって不利な条件であっても早いうちに和睦を取り付けるのが利口なやり方です。イェスもこう言われました。
また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えるために出て行く場合には、まず座して、こちらの一万人をもって、二万人を率いて向かって来る敵に対抗できるかどうか、考えて見ないだろうか。もし自分の力にあまれば、敵がまだ遠くにいるうちに、使者を送って、和を求めるであろう。
ルカ14:31〜32
当然のことですが、イスラエルは和睦の条約を一切受け付けていないという情報も彼らの耳に入っていました。周辺住民との和睦は、神に厳しく禁じられていたのです。そこで、ギベオンは偽装工作にでました。姑息といえば姑息ですが、自らの命を助けるための工作でした。
古びた服に古びた靴を身にまとい、古びた川袋に乾いて砕けた(別訳によればカビた)パンを持って、ボロボロよれよれの姿で登場します。最初はイスラエル側もいぶかしげですが、彼らが持っていた食べ物を試食した結果、小道具に騙されて納得してしまいます。ただ、「主のさしずを求めようとはしなかった」のです。本来、このような時は、相手の使者を数週間、場合によっては数年、手厚くもてなしながらも完全拘束して、話の裏を全てとり、場合によっては相手の国に使者を送って確認するのが古代社会の常識でした。しかし、イスラエルはこのような確認作業もせず、どうやらその日のうちに条約を結んでしまったようです。わずか数日で隣人であることが発覚しますが、すでに時遅しです。
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。」
箴言3:5
特に外交経験が皆無ともいえる、未経験分野が多いイスラエルにとっては尚更そうです。そして、このフライイング外交がのちに様々なトラブルを引き起こすのです。真っ先に起きたトラブルは、いわゆる国内の政治不信でした。
イスラエルの人々は進んで、三日目にその町々に着いた。その町々とは、ギベオン、ケピラ、ベエロテおよびキリアテ・ヤリムであった。ところで会衆の長たちが、すでにイスラエルの神、主をさして彼らに誓いを立てていたので、イスラエルの人々は彼らを殺さなかった。そこで会衆はみな、長たちにむかってつぶやいた。
ヨシュア記9:17〜18
勝手に和睦を結んでしまったリーダーに対して、今までは真っ直ぐに従ってきた国民の間に、不信が芽生えたのです。さらに、自体は間も無くさらに悪化します。
エルサレムの王アドニゼデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを全く滅ぼし、さきにエリコとその王とにしたように、アイとその王にもしたこと、またギベオンの住民が、イスラエルと和を講じて、そのうちにおることを聞き、大いに恐れた。それは、ギベオンが大きな町であって、王の都にもひとしいものであり、またアイより大きくて、そのうちの人々が、すべて強かったからである。それでエルサレムの王アドニゼデクは、ヘブロンの王ホハム、ヤルムテの王ピラム、ラキシの王ヤピア、およびエグロンの王デビルに人をつかわして言った、「わたしの所に上ってきて、わたしを助けてください。われわれはギベオンを撃ちましょう。ギベオンはヨシュアおよびイスラエルの人々と和を講じたからです」。アモリびとの五人の王、すなわちエルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシの王、およびエグロンの王は兵を集め、そのすべての軍勢を率いて上ってきて、ギベオンに向かって陣を取り、それを攻めて戦った。ギベオンの人々は、ギルガルの陣営に人をつかわし、ヨシュアに言った、「あなたの手を引かないで、しもべどもを助けてください。早く、われわれの所に上ってきて、われわれを救い、助けてください。山地に住むアモリびとの王たちがみな集まって、われわれを攻めるからです」。
ヨシュア記10:1〜6
イスラエルはギベオンとの同意のもと、ギベオンの人々を属国とし、「薪を切るもの、水を汲むもの」という仕える立場としました。しかし、それは同時にギベオンの軍事力を制限し、いわば「丸腰」にすることでもありました。という事は、イスラエルはギベオンを軍事的に守るという義務が発生してしまいました。その敵とは、いずれイスラエルが対峙しなければならない相手だったため、戦うのは時間の問題でしたが、ギベオンを守ために出兵するという「あべこべ現象」がますます広がっていきます。
その後も、ギベオンはイスラエルにとって厄介な隣人であり続けます。サウル、ダビデ、そしてソロモンの時代まで内在するトラブルメーカーであり続けました。たったひとつの浅はかな判断が、これだけのトラブルを延々と起こし続けたのです。しかし、これは人類の歴史の常です。小説「嵐が丘」は、二人の身勝手により、当事者がいなくなった後も延々とつづく不幸の連鎖を描いています。また、「たった一匹の害虫がこれだけの創作物を破壊できるとは不思議だ」は、エルトン・ジョンがジョン・レノンの暗殺に際して悼んで書いた曲の歌詞です。
なぜ、ヨシュアも含めたイスラエルのリーダーたちがここまで軽はずみなミスを犯したのでしょうか?主の指図を求めずに自分たちの考えで動くことの危険性は、アイの一件で痛感していたはずです。これは私の勝手な想像ですが、イスラエルはこれまで奴隷であったり放浪者であったりして、自らに対してかなりの劣勢コンプレックス、または自虐的なイメージがあったのではないかと思います。そこに、自分たちを恐れて遠くから和睦を求めて使者がやってくるというのは、決して悪い気はしなかったはずです。それで気が緩んだのではないか、と私は考えています。
しかし、全てのキリスト者が覚えておかなければならないがあります。それは、私がすごい/すごくないのでは無く、主がすごいのです。私の主がすごいのです。私が主人公ではないのです。私の人生の主人公は、主であって、私ではありません。この事を忘れてしまうと、後々痛い目にあってしまうのです。だから、常に覚えましょう、「我が身は栄えある国の民なり」。