み言葉を託された者:モーセ(8)
主はモーセに言われた、「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがもろもろのしるしを彼らのうちに行ったのに、彼らはいつまでわたしを信じないのか。わたしは疫病をもって彼らを撃ち滅ぼし、あなたを彼らよりも大いなる強い国民としよう」。モーセは主に言った、「エジプトびとは、あなたが力をもって、この民を彼らのうちから導き出されたことを聞いて、この地の住民に告げるでしょう。彼らは、主なるあなたが、この民のうちにおられ、主なるあなたが、まのあたり現れ、あなたの雲が、彼らの上にとどまり、昼は雲の柱のうちに、夜は火の柱のうちにあって、彼らの前に行かれるのを聞いたのです。いま、もし、あなたがこの民をひとり残らず殺されるならば、あなたのことを聞いた国民は語って、『主は与えると誓った地に、この民を導き入れることができなかったため、彼らを荒野で殺したのだ』と言うでしょう。どうぞ、あなたが約束されたように、いま主の大いなる力を現してください。あなたはかつて、『主は怒ることおそく、いつくしみに富み、罪ととがをゆるす者、しかし、罰すべき者は、決してゆるさず、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼす者である』と言われました。どうぞ、あなたの大いなるいつくしみによって、エジプトからこのかた、今にいたるまで、この民をゆるされたように、この民の罪をおゆるしください」。主は言われた、「わたしはあなたの言葉のとおりにゆるそう。しかし、わたしは生きている。また主の栄光が、全世界に満ちている。わたしの栄光と、わたしがエジプトと荒野で行ったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞きしたがわなかった人々はひとりも、わたしがかつて彼らの先祖たちに与えると誓った地を見ないであろう。またわたしを侮った人々も、それを見ないであろう。
民数記14:11〜23
モーセは常々、イスラエルの民の不満の的になっていました。そのたびに主は怒り、モーセが仲裁に入ったり民を擁護したりしていました。イスラエルの不平不満に一番怒っていてもいいはずのモーセが、イスラエルの弁明に躍起になっています。彼らを許すのでなければ、自分の命までも差し出すと言ったことさえありました。
今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば――。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。主はモーセに言われた、「すべてわたしに罪を犯した者は、これをわたしのふみから消し去るであろう。しかし、今あなたは行って、わたしがあなたに告げたところに民を導きなさい。見よ、わたしの使はあなたに先立って行くであろう。ただし刑罰の日に、わたしは彼らの罪を罰するであろう」。
出エジプト記32:32〜34
主が言われた「十度もわたしを試みて」と言われたのがどの10回の出来事を指すのかは明らかではありません。細かい出来事を入れると、もっとあります。この「十」の使い方が、数学的に正確な値を意味するのではなく、「一通り」を意味している可能性もあります。ただ、代表的なものを10取り上げて羅列すると、こんな風になります。
・パロの軍隊に追われた時:「エジプト人に仕えていたほうがよかった」
・マラでの不満:水が苦くて飲めない、「何を飲めばいいんだ」
・シンの荒野での不満:「食べ物がない、餓死させるために連れてきたのか」
・マナの集め方について主の命令に反した(モーセ激怒1回目)
・レピデムでの不満:水がないため、モーセを殺そうとした
・シナイ山での罪:金の子牛を作って拝んだ(モーセ激怒2回目)
・アロンの息子たちの罪:ナダブとアビフが異火(ことび)を主の前にささげた
・タベラでの罪:恵まれているのに、ひどい目に遭っているかのように不満を言った
・キブロテ・ハッタワでの罪:マナ以外の食べ物を要求した
・パランの野での罪:約束の地に入ることを拒み、エジプトに戻るためのリーダーを選出
荒野での40年が始まる前から、こんなにあります。その放浪の40年の間も、色々とありました。その度に、モーセが民の弁護に入ります。時には泣き言を言いながらも。ただ、ある一定レベルを超えると、柔和なことこの上ないモーセもブチ切れます。1回目のマナに関する事件(マナを翌朝まで取って置いてはならないと言われたのに取って置く者がおり、朝になったら腐って虫が沸いていた)では、モーセは激怒しただけでした。
2回目の激怒は、モーセがシナイ山に登って律法を受け取っていた間に、民がアロンに金の子牛を作らせて、拝んでいただけではく、酒池肉林の乱行にふけっていました。裸で戯れる民を見て、モーセは怒りを爆発させ、神から頂いた律法の石板を叩き割ってしまいました。
ここで少し本題から離れ、この石板について考えましょう。映画「十戒」でチャールスヘストンが演じるモーセが持っている石板は、あまりにも大きすぎます。御老人がそのような大きな石板を両手に運ぶことは考え難いことです。ユダヤ教の伝統によれば、これらの石板はおそらく手のひらサイズではなかったかということです。さらに、そこには十戒の全文が書かれていたのではなく、各戒につき一文字ずつ、代表的な文字を、神自ら書き込まれたというのです。そのため、ユダヤ教では十戒のことを「十の文字」と呼ぶこともあるそうです。
さて、本題に戻ります。神自ら書かれた石板を叩き割ったモーセの罪は決して小さいものではなかったのでしょうか?いや、主はそれについてモーセをとがめるどころか、この民を滅ぼして、モーセから新しい民を起こすことと言い出します。ここでも、モーセが民をかばって、主の怒りを鎮めます。
モーセの激怒3回目は、だいぶ後のことです。40年でキレたのが3度しかないというのは、とてつもなく温厚なキャラクターとして読み取れますが、この3回目の内容が不幸でした。
主はモーセに言われた、「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」。モーセは命じられたように主の前にあるつえを取った。モーセはアロンと共に会衆を岩の前に集めて彼らに言った、「そむく人たちよ、聞きなさい。われわれがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」。モーセは手をあげ、つえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たので、会衆とその家畜はともに飲んだ。そのとき主はモーセとアロンに言われた、「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」。
民数記20:7〜12
モーセは確かに、民の身勝手な避難でイライラが溜まっていたのでしょう。しかし、長年の忠実なしもべが、この軽率な行為ひとつで、約束の地から切り離されてしまいました。なぜでしょう?
以前に一度、主はこの岩を杖で打って水を出すようにモーセに命じ、モーセはその通りにしました。それは、メシアが私たちの罪のために打たれて身代わりのいけにえになることを象徴していました。それ以降は、その岩を打つのではなく、話しかけるように命じられました。それは、一度完全ないけにえがささげられた以上、もはやいけにえの必要はあり得ず、「口で告白して救われる」(ローマ10:10)ことを象徴するはずでした。しかしモーセはその象徴を民に表さず、自分の感情を表しました。その罰として、約束の地から切り離されてしまったのです。もちろん、先週見ましたように、天国ではモーセはエリヤ同様、栄光を受けています。しかしこの地上では、モーセは安息に入ることは許されませんでした。
たかが象徴でなぜ主はこんなにも厳しいのでしょうか?それは、「たかが象徴」ではないからです。象徴に過ぎないからと象徴を軽視して不遜を働くならば、それはその象徴が指し示す実体に対しても同様に軽視して不遜を働くことになってしまうからです。コリントの教会の人々は、主の晩餐(聖餐式)を行うのに、主が命じられたやり方も精神も全く無視して、身勝手な形で行っていました。パウロは彼らに対して、「主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである。」(Iコリント11:29〜30)と、警告しています。主が定めた象徴を軽視することは、冒涜に他ならないのです。
さて、この一件で、もう一人、残念な終わり方になってしまった人がいます。アロンです。
主はエドムの国境に近いホル山で、モーセとアロンに言われた、「アロンはその民に連ならなければならない。彼はわたしがイスラエルの人々に与えた地に、はいることができない。これはメリバの水で、あなたがたがわたしの言葉にそむいたからである。あなたはアロンとその子エレアザルを連れてホル山に登り、アロンに衣服(装束)を脱がせて、それをその子エレアザルに着せなさい。アロンはそのところで死んで、その民に連なるであろう」。モーセは主が命じられたとおりにし、連れだって全会衆の目の前でホル山に登った。そしてモーセはアロンに衣服を脱がせ、それをその子エレアザルに着せた。アロンはその山の頂で死んだ。そしてモーセとエレアザルは山から下ったが、全会衆がアロンの死んだのを見たとき、イスラエルの全家は三十日の間アロンのために泣いた。
民数記20:23〜29
「民に連なる」というのは、「死んで埋葬された先祖たちの仲間入りをする」という意味です。アロンもこれまで、黄金の子牛を作ったりなど、前科もあったからかもしれませんが、やはりキリストの象徴を汚した出来事に関わった罪は小さいものではありませんでした。アロンの亡骸はホル山に残り、アロンの杖だけが契約の箱と一緒にヨルダン川を渡りました。
こういった事から、バプテストでは「勝手に象徴を作らない」「与えられた象徴は、かたくなに、キリストの命じられた通りに行う」ようにしています。アメリカなど一部の教会では、聖餐式のパンに食パンやそれ以外の食べ物を使ったり、ぶどう酒のかわりにコーラなどを使うことも聞きますが、これはキリストが最後の晩餐で割いた種入れぬパン、キリストが回した杯を本当に象徴していると言えるでしょうか?危険なまでにコリントの教会に近付いていないでしょうか?
バプテスマにおいてもそうです。滴礼や注水礼が本当に、キリストの死・埋葬・復活に対する信仰、自身の古い人の死と埋葬と新しい命への復活の決意、そして、この身が死んで埋葬されてもよみがえり、永遠にキリストと共にいることを確信していることを、象徴しているのでしょうか?また、滴礼や注水礼を行っている人は、本当に、「すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、」を実践しているのでしょうか?私たちが主の象徴に携わる時、自分の感情や気分や考えではなく、もう一度自分を吟味し自分をわきまえることが重要なのではないでしょうか?