八王子バプテスト教会通信

9月26日のメッセージ 2021年9月26日

み言葉を託された者:モーセ(7)

 

さて、モーセのしゅうと、ミデアンの祭司エテロは、神がモーセと、み民イスラエルとにされたすべての事、主がイスラエルをエジプトから導き出されたことを聞いた。それでモーセのしゅうと、エテロは、さきに送り返されていたモーセの妻チッポラと、そのふたりの子とを連れてきた。そのひとりの名はゲルショムといった。モーセが、「わたしは外国で寄留者となっている」と言ったからである。ほかのひとりの名はエリエゼルといった。「わたしの父の神はわたしの助けであって、パロのつるぎからわたしを救われた」と言ったからである。こうしてモーセのしゅうと、エテロは、モーセの妻子を伴って、荒野に行き、神の山に宿営しているモーセの所にきた。その時、ある人がモーセに言った、「ごらんなさい。あなたのしゅうと、エテロは、あなたの妻とそのふたりの子を連れて、あなたの所にこられます」。そこでモーセはしゅうとを出迎えて、身をかがめ、彼に口づけして、互に安否を問い、共に天幕にはいった。そしてモーセは、主がイスラエルのために、パロとエジプトびととにされたすべての事、道で出会ったすべての苦しみ、また主が彼らを救われたことを、しゅうとに物語ったので、エテロは主がイスラエルをエジプトびとの手から救い出して、もろもろの恵みを賜わったことを喜んだ。そしてエテロは言った、「主はほむべきかな。主はあなたがたをエジプトびとの手と、パロの手から救い出し、民をエジプトびとの手の下から救い出された。今こそわたしは知った。実に彼らはイスラエルびとにむかって高慢にふるまったが、主はあらゆる神々にまさって大いにいますことを」。そしてモーセのしゅうとエテロは燔祭と犠牲を神に供え、アロンとイスラエルの長老たちもみなきて、モーセのしゅうとと共に神の前で食事をした。あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝から晩まで、モーセのまわりに立っていた。モーセのしゅうとは、彼がすべて民にしていることを見て、言った、「あなたが民にしているこのことはなんですか。あなたひとりが座し、民はみな朝から晩まで、あなたのまわりに立っているのはなぜですか」。モーセはしゅうとに言った、「民が神に伺おうとして、わたしの所に来るからです。彼らは事があれば、わたしの所にきます。わたしは相互の間をさばいて、神の定めと判決を知らせるのです」。モーセのしゅうとは彼に言った、「あなたのしていることは良くない。あなたも、あなたと一緒にいるこの民も、必ず疲れ果てるであろう。このことはあなたに重過ぎるから、ひとりですることができない。今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。あなたは民のために神の前にいて、事件を神に述べなさい。あなたは彼らに定めと判決を教え、彼らの歩むべき道と、なすべき事を彼らに知らせなさい。また、すべての民のうちから、有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人を選び、それを民の上に立てて、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長としなさい。平素は彼らに民をさばかせ、大事件はすべてあなたの所に持ってこさせ、小事件はすべて彼らにさばかせなさい。こうしてあなたを身軽にし、あなたと共に彼らに、荷を負わせなさい。あなたが、もしこの事を行い、神もまたあなたに命じられるならば、あなたは耐えることができ、この民もまた、みな安んじてその所に帰ることができよう」。モーセはしゅうとの言葉に従い、すべて言われたようにした。すなわち、モーセはすべてのイスラエルのうちから有能な人を選んで、民の上に長として立て、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長とした。平素は彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセに持ってきたが、小さい事件はすべて彼らみずからさばいた。こうしてモーセはしゅうとを送り返したので、その国に帰って行った。

出エジプト18章

 

モーセが無事イスラエルの民をエジプトから導き出し、いわゆる「エクソダス」を成功させたと噂に聞いたエトロが、大喜びでモーセの妻と息子たちを引き連れて、モーセの宿営している場所にやって来ます。

あれ?

モーセは最初から妻子を連れてアロンに会いにやって来たのではなかったでしょうか?

その通りです。そこで起こった「すたもんだ」が今日の話のキーワードになります。

 

モーセがアロンに会いに出たところ、家族連れでした。アロンはモーセに会えて大喜びでしたが、妻子を連れて来ていたことに激怒します。イスラエルの民はただでさえひどい負担を強いられているのに、これ以上負担に加わる人を増やしたなら、全員の負担が増えてしまいます。また、イスラエルと合流した後に、その負担の大きさを見て家族を送り返したなら、それはイスラエルの人にとってモーセの常識のなさと、これからのことの危険性の大きさを明かし、みんなの不安を煽ることになってしまいます。そのためにアロンは、誰にも気づかれないうちに家族を送り返すという知恵をモーセに授けます。天真爛漫なモーセは、アロンの知恵によって助けられたのです。

 

さて、モーセはイスラエルを連れ出したところ、思ってもいなかった役を背負うことになりました。エジプトにいたときには、イスラエルは奴隷だったので、大した自治体性が存在しませんでした。エジプト人の言う通りにするだけでした。しかし、独立した今は、何もかも自分たちで自治しなければなりません。そして、民の「ゴタゴタ」を判断する役が、モーセだったのです。何せ、完全に納得していない者も含めて全員連れ出したわけですから、その辺りも責任を取ってもらわなければならない、ということです。そのため、モーセは朝から晩まで「大岡裁き」をすることを強いられました。

 

ここからも、モーセのひとつの性格が見て取れます。真面目すぎて一人で全てを背負い込んでしまう、というところでした。そして、それはいいこととは言えないのです。

 

この状況を見たエトロは、たまりかねてアドバイスします。そんなことをしていたら、お前は潰れてしまうし、そうなれば民も潰れてしまう。誰もが幸せにならずに、全員が不幸になってしまうというシナリオを、祭司のエトロは見て取れたのです。その通り、善意や猪突猛進の勢いの上にのみ成る信仰では、却って自他を不幸にしてしまうこともあるのです。

 

確かに、私たちは人の知恵知識に捉われ、主が何をなしうるのかを見失ってはいけません。それと同時に、目の前にある知恵知識を軽視し、主の奇跡的な助けのみを期待したり、無謀な行動に出ることもあってはいけないのです。ソロモンはこのように忠告しています。

 

「あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。」

伝道の書7:16

 

目に見えない神のものを使うのか、目の前にある、いずれは過ぎ去るものを使うのか、の択一的な選択ではないということです。最終的に信頼するのは目に見えない神ですが、目の前にあるものを使えないようでは、天の国のものを任せるわけにはいかない、というのがキリストの言葉です。

 

またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。

ルカ16:9〜12

 

モーセはエトロのアドバイスによって助けられました。アーロンのアドバイスによっても助けられました。私たちも、牧師や信徒の言葉だけではなく、神を知らない人々の言葉によって助けられることもあります。ただ、それは周囲の言葉を鵜呑みにするということではなく、全てを知恵と霊性を持って判断するというものです。モーセに対するエトロのアドバイスは、確かに人智でしたが、神に支えようとしているモーセにとって「どんぴしゃり」的確なアドバイスで、モーセはそれを採用し、うまく行きました。私たちも信仰と知恵を持って役に当たりましょう。

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