「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」(ヨハネ14:27)
「困難な時代の平安」
今日からまた各ファミリーが家庭礼拝で聖日を過ごします。一時期はコロナが収まったかのように見えましたが、今は爆発的な拡大を続けています。ワクチンの摂取が始まり、数ヶ月すればある程度は収束に向かうでしょうが、今回の緊急事態宣言が出たことで「またか」とガッカリされた方も多かったのではないでしょうか。去年の緊急事態宣言の時は様々なものが不足し、様々な不便を強いられた経験がまだ記憶に新しいところです。またそのような思いをするのかと思うと、気が重くなります。
ただ、世の中には、はるかに大きな犠牲を強いられている方々もいます。愛する人をコロナで失った方、職と家を失ったシングルマザー、大学中退を余儀なくされ、その後も職につけない方...そのような中、自らの命を経つ人が増えています。一年前までの自殺者と比較した今の増加分が、コロナで亡くなった方の数よりも多いと聞きます。私たちの社会において、いかに富が、お金が、心の平安につながっているかを物語っています。
しかし、クリスチャンの場合は、それとは異なる法則も、併せて働いています。私たちには慰め主である聖霊が与えられているので、主と共に歩むならば、仮に経済的状況が厳しくても、心の中は穏やかでいることができます。ここで、とある人物のお話をしたいと思います。
彼はの名前は、ホレーシオ・スパッフォードでした。19世紀のアメリカにいた実業家兼弁護士で、経済的には大成功を収めました。しかし、1871年のシカゴの大火で富のほとんどを失ってしまいました。その上、直後に4歳になる長男を猩紅熱(しょうこうねつ)で亡くしてしまいます。暗いこと続きで、家族も滅入っているだろうからと、妻と4人の娘をイギリス行きの船に乗せ、気分転換の旅行に送り出します。彼も仕事が一段落したら合流するつもりでしたが、家族が乗った船は大西洋上で難破し、犠牲者が200人以上出ました。その中には、彼の4人の娘もいました。妻だけが生き残り、イギリスからこのことを電報で伝えて来たのです。
彼は大急ぎでイギリス行きの船に乗り、妻のもとに向かいます。その航海の途中で、スパッフォード家を襲った様々な惨事を聞いて知っていた船長が、ホレーシオを呼び出します。そして、伝えます。
「今、ちょうど娘さんたちが亡くなった場所を通過しています。」
その時、彼はとても不思議な気持ちに満たされます。娘たちを失った悲しみや喪失感よりも、娘たちにまた会えるという喜びと希望、そしてとてつもなく大きな慰めの気持ちに包まれました。彼はそこに立ったまま、その湧き上がる感情を紙に書き留めていきました。
When peace like a river, attendeth my way
(平和が川のように私に伴うときも)
When sorrows like sea billows roll
(悲しみが大波のように荒れ狂うときも)
Whatever my lot, thou hast taught me to know It is well, it is well with my soul.
(私の定めが何であろうと、あなたは私に魂の安らぎを教えてくださいました)
この言葉がのちに賛美歌として残され、私たちの聖歌集に「やすけさは川のごとく」として含まれています。
やすけさは川のごとく 心満たすとき
悲しみは波のごとく わが胸満たすとき
全て やすし み神ともにませば
もちろん、彼は悲しまなかったわけではありません。敬虔なクリスチャンであった彼も、打ちひしがれるような悲しみと絶望を感じたことでしょう。スーパー・クリスチャンというわけではありません。しかし、イェスは言われました。
「わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。」
一人ひとりの平凡なクリスチャンに約束されるのは、常に都合がいいようになるということではなく、都合が悪くても魂の安らぎがあることです。そして、この世の労苦から解き放たれたとき、永遠のや安らぎに入れることです。コリント人への第二の手紙4章にこのようなことが書いてあります。
「わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。...だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」