今日は一旦譬え話から離れて、今起こっていることについて話したいと思います。
コロナウイルス(COVID-19)によって色々な社会現象が起こり始めています。
悪質な噂によってトイレットペーパーが街から消えてしまいました。不安と不確実さに対する社会心理です。みんなが買い占めに走らなければ、生産量は不足していないという情報にもかかわらず、状況は中々改善していません。仮に、このウイルスがさらに凶暴なものに変化した場合、不安はさらに広まり、食糧の買い込みに止まらず、強奪、討ち入りなど、私たちが築いてきた社会の根本を揺るがす事態に、いとも簡単に発展しうることが手にとるようにわかります。流通もライフラインのインフラもストップし、都市部で何万人もの餓死者が出ることも想定されます。
その中で、私たちはクリスチャンとしてどのように生きれば良いのでしょうか?
戦後の平和な社会しか知らず、飢えや貧困、社会秩序の崩壊は他国のことであって自分には無関係だ、と考えている人は日本においてもアメリカにおいても大勢いるでしょう。しかし、私たちの社会の安定は決して保証されたものではなありません。むしろ、それを当然と考えることこそ、クリスチャンとして絶対してはならないことです。私たちの経済社会を代表するバビロンについて書かれた言葉です。
わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。 それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく主なる神は、力強い方なのである。(黙示録18:4〜8)
私たちが裕福に暮らせるのは当たり前、そうでなければおかしい、というのはとてつもなく驕り高ぶった、感謝のない姿勢です。逆に、私たちがどのような酷い目に遭おうと、それは太古から人類が常に経験してきたことです。
あなた方が会った試練で、世の常でないものはない。(Iコリント10:13)
では、実際に私たちはどうすればいいのでしょうか?具体的な行動についてはのちに述べますが、クリスチャンとしての姿勢が大切です。誠実であること、恐れないこと。責任ある言動を心がけること。このようなことが、周囲に害を及ぼす代わりに、希望を与えることになります。私たちが、この世では旅人である寄留者であること、やがてこの地上での歩みが終わると心の故郷に帰れること、このようなことを心に留めて置くならば、周囲に安心を与えることすらできるでしょう。
最後に、具体的な言動や考え方に関していくつかのポイントをあげたいと思います。
・過度に怖がらず、正しい知識を持って、責任ある衛生管理をする。
・無責任な安心論を広げない。
・噂に流されて買い占めなどは行わず、家族を守るのに必要な物資のみを確保する。
・無責任な情報拡散はせず、情報の正確さを冷静に判断する。判断できない場合は、広めない。
・国家や民族同士の責任のなすりつけ合いには決して参加しない。
・すべての言動をイェスの愛の精神で行う。
・隣人や周囲に対して、傷つけたり害を及ぼすようなことは決してしない。
・すべてのことに感謝する。
・本当の「大丈夫」とは、「私たちはこの地上で長く豊かに暮らせる」ことではなく、「私たちの名前が天に書かれていて、『義の住む天と地』を相続できる、そこでまた会える」ことである。これこそが究極の「現実」。