八王子バプテスト教会通信

4月10日のメッセージ 2022年4月10日

み言葉を託された者:ソロモン(4)

 

ユダとイスラエルの人々は多くて、海べの砂のようであったが、彼らは飲み食いして楽しんだ。ソロモンはユフラテ川からペリシテびとの地と、エジプトの境に至るまでの諸国を治めたので、皆みつぎ物を携えてきて、ソロモンの一生のあいだ仕えた。さてソロモンの一日の食物は細かい麦粉三十コル、荒い麦粉六十コル、肥えた牛十頭、牧場の牛二十頭、羊百頭で、そのほかに雄じか、かもしか、こじか、および肥えた鳥があった。これはソロモンがユフラテ川の西の地方をテフサからガザまで、ことごとく治めたからである。すなわち彼はユフラテ川の西の諸王をことごとく治め、周囲至る所に平安を得た。ソロモンの一生の間、ユダとイスラエルはダンからベエルシバに至るまで、安らかにおのおの自分たちのぶどうの木の下と、いちじくの木の下に住んだ。ソロモンはまた戦車の馬の、うまや四千と、騎兵一万二千を持っていた。そしてそれらの代官たちはおのおの当番の月にソロモン王のため、およびすべてソロモン王の食卓に連なる者のために、食物を備えて欠けることのないようにした。また彼らはおのおのその割当にしたがって馬および早馬に食わせる大麦とわらを、その馬のいる所に持ってきた。神はソロモンに非常に多くの知恵と悟りを授け、また海べの砂原のように広い心を授けられた。ソロモンの知恵は東の人々の知恵とエジプトのすべての知恵にまさった。彼はすべての人よりも賢く、エズラびとエタンよりも、またマホルの子ヘマン、カルコル、ダルダよりも賢く、その名声は周囲のすべての国々に聞えた。彼はまた箴言三千を説いた。またその歌は一千五首あった。彼はまた草木のことを論じてレバノンの香柏から石がきにはえるヒソプにまで及んだ。彼はまた獣と鳥と這うものと魚のことを論じた。諸国の人々はソロモンの知恵を聞くためにきた。地の諸王はソロモンの知恵を聞いて人をつかわした。

I列王紀4:20〜34

 

イスラエル、ソロモンの元で栄えていますね!しかし、その富み方は、主が本来イスラエルの国王のために意図した富み方とはだいぶ違っていたことは、先週学びました。そして、それが末長く祝福されて長続きするわけではないことが、すでに決まってしまっていました。

 

さて、先週の最後に、今週は「ソロモンの書」を考えると言いましたが、これは外典の「ソロモンの知恵の書」や、失われた「ソロモンの行いの書」のことではありません。ソロモンが書いたとされる、正典の書のことです。具体的には、箴言、伝道の書、そして雅歌です。知恵と、人生哲学と、雅(みやび)とを詩にしたためた傑作です。特にソロモンの叡智は誰もが認め、ユダヤ人も誇るとことですが、ソロモンについてユダヤ人が全く誇ろうとしない側面があります。それは、ソロモンは父ダビデとは違い、全く人格者ではなかったということです。それどころか、欲しいものを手に入れるためには手段を選ばない、なりふり構わない欲望の権化として記憶されており、周囲の国からは「悪霊使い」としてさえ恐れられていたということです。

 

そのことを示す経緯をふたつ、お話ししたいと思います。いずれも聖書からの引用ではなく、ユダヤ教のミドラーシュ(正典を捕捉する口伝)やエチオピアの伝説から得られる情報のため、正確に正しいとは言えませんが、少なくともソロモンがどのように人々に記憶されて語り継がれたかが読み取れる内容です。

 

ひとつ目は、聖書にも記録されている、シバの女王がエルサレムを訪れた時のことです。彼女の滞在中、ソロモンは彼女に城をひとつ与え、彼女に日々知恵を授け、最後に彼女はユダヤ教に改宗して帰ったということです。しかし、ソロモンはその中にもあることを目論んでいました。それは、ソロモンが多くの妻たちを持つ他にも、権力の座にある様々な女性と肉体関係を持とうとしていたのです。というのは、そのような女性からも自分の子孫を残せば、自分の影響力が世界に遍く浸透し、ながらえるのです。しかし、シバの女王、マケダはこれを警戒し、自分がエルサレムに滞在する条件として、ソロモンが彼女に対して一切手出しをしないと誓わせます。ソロモンはこれに同意しますが、その交換条件として、マケダが城の中にあるものを勝手に取らない、と誓わせます。盗みなど毛頭考えていないマケダはこれに同意します。そしてエルサレム滞在の最終夜に、大宴会が開かれます。そこで、大変「スパイシー」な料理が振るまわれた、と記録されています。「スパイシー」が「辛い」料理なのか、単に塩胡椒が強い料理なのか、全く不明ですが、これが罠でした。夜中に彼女は強烈な喉の渇きで目が覚めます。その寝室の近くに、ソロモンが水の入った水差しを置くという仕掛けを講じています。マケダがそれを手にすると、そこにソロモンが現れ、誓いのことについて釘を刺します。喉の渇きに堪えられないマケダは、「誓いはどうでもいいから、水を飲ませて!」と水を口にします。その結果生まれた男子がメニレクI世、紀元前9世紀から始まり、実質的な帝国としては1270年から1974年まで続いたエチオピア帝国の基礎を築いた人物とされています。今でもこの系を汲むエチオピアの人々にとって、自分たちがソロモンの子孫であるというアイデンティティーが非常に強いのです。ソロモンはこれだけの権力と財力を持ちながらも、欲しいもののためなら、このような姑息極まりない手段に出ることも全く躊躇わない人物として記憶されているのです。

 

それから、もうひとつの出来事について。ソロモンが大勢の妻を持つに至った経緯についてです。そもそも、なぜソロモンがそのようなことをすることが許されたのか?ダビデには、預言者ナタンがいて、信仰面や道徳面でのし何をしていました。ソロモンにはそのような人はいなかったのでしょうか?

 

実は、いたとされています。アーロンの家系の、「シメイびと」の子孫とされる人物です。

 

ゲルションからリブニびとの氏族と、シメイびとの氏族とが出た。これらはゲルションびとの氏族である。

民数記3:21

 

シメイびとの子孫、シメイがソロモンのお目付役でした。そしてユダヤ教のミドラーシュには、シメイが生きている間はソロモンが外国人の女性と結婚することを許さなかったとされています。では、シメイはどうなってしまったのか?これもユダヤ教のミドラーシュの記録ですが、ソロモンがエジプトのファラオの娘と結婚するのにシメイが邪魔になり、ソロモンはシメイに無実の罪を着せ、処刑してしまった、そしてそこからソロモンは罪に転がり落ちていってしまった、と記録されています。

 

とんでもない奴ですね!主はこのような人物にも御言葉を託すのでしょうか?

 

ここでひとつ、私たちが考え方において気をつけなければならないのは、罪の性質です。私たちがソロモンのようなことをしていないからと言って、ソロモンより罪が軽く、神に受け入れられやすい、というのは人間的な身勝手な発想です。どんなに小さな罪であっても、主イェスの十字架の血がなければ許されることはないのです。

 

それから、もうひとつ。主の働きにおいて、器に入れる働きや御言葉は、その器と同一ではありません。

 

しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。

IIコリント4:7

 

古代イスラエルのさばきつかさとして、主はヨシュアやサムエルのような人格者も用いられましたが、サムソンやエプタのようなとんでもない奴らも同様に用いられました。他人の罪が私の罪と違うだけの理由でその人を見下すのは、罪ある身でありながら他人を裁いている事になってしまいます。

 

さて、ソロモンに託された書です。

 

箴言:詩篇の全てがダビデの詩篇でないのと同じように、箴言も大半がソロモンの言葉でありながらソロモンの言葉以外も含まれています。ユダヤ教では、「知恵を収集した様々なコレクションを集めたもの」と理解されています。ヘゼキア王もその慣習に関わっています。人間は被造物の一部なのだから、思いあがる事なく、神を恐れて正しく歩むことの重要性が主要テーマです。

 

雅歌:これは、キリスト教の時代に入って様々な物議を醸した書です。何せ、二人の恋人がお互いを求め合う、官能小説のような内容を、歌劇風にまとめたものなのです。聖書には似つかわしくないのではないか?という意見が様々な時代に出てきました。しかし、ユダヤ教の中においては、神とイスラエルの関係を自然体で述べたものと理解され、過越の祭りの中で朗読されるのが習慣化しています。今のキリスト教でもエペソ5章の理解のもとであればキリストと教会の関係を表すのに自然なものとして受け止められています。

 

伝道の書:これも実は、聖書に似つかわしくないとされたことがある書です。なぜならば、あまりにもネガティブだから、ということです。全てが虚しい、人の努力は風に舞う塵に過ぎない、だから生きている間はせいぜい楽しもう。確かに明るいテーマではありませんが、旧約聖書の中では珍しく、人の魂は神のもとの永遠の住まいに帰り、裁きを受けることが書かれており、実はヤコブの手紙と合わせて読むと、クリスチャンにとって多くのことが学べます。ユダヤ教においては、若者がハメを外して大騒ぎすることが多い、仮庵の祭りの前に読まれることが習慣化しています。

 

ソロモンの人格や素行がどうであったにしても、これだけまとまった知恵と人生の生き方についての理解が私たちに与えられておる箇所は他にありません。感謝していただき、読み、そして実践していきましょう。

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