み言葉を託された者:ヨシュア(3)
しかし、イスラエルの人々は奉納物について罪を犯した。すなわちユダの部族のうちの、ゼラの子ザブデの子であるカルミの子アカンが奉納物を取ったのである。それで主はイスラエルの人々にむかって怒りを発せられた。ヨシュアはエリコから人々をつかわし、ベテルの東、ベテアベンの近くにあるアイに行かせようとして、その人々に言った、「上って行って、かの地を探ってきなさい」。人々は上って行って、アイを探ったが、ヨシュアのもとに帰ってきて言った、「民をことごとく行かせるには及びません。ただ二、三千人を上らせて、アイを撃たせなさい。彼らは少ないのですから、民をことごとくあそこへやってほねおりをさせるには及びません」。そこで民のうち、おおよそ三千人がそこに上ったが、ついにアイの人々の前から逃げ出した。アイの人々は彼らのうち、おおよそ三十六人を殺し、更に彼らを門の前からシバリムまで追って、下り坂で彼らを殺したので、民の心は消えて水のようになった。そのためヨシュアは衣服を裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、ちりをかぶった。ヨシュアは言った、「ああ、主なる神よ、あなたはなにゆえ、この民にヨルダンを渡らせ、われわれをアモリびとの手に渡して滅ぼさせられるのですか。われわれはヨルダンの向こうに、安んじてとどまればよかったのです。ああ、主よ。イスラエルがすでに敵に背をむけた今となって、わたしはまた何を言い得ましょう。カナンびと、およびこの地に住むすべてのものは、これを聞いて、われわれを攻めかこみ、われわれの名を地から断ち去ってしまうでしょう。それであなたは、あなたの大いなる名のために、何をしようとされるのですか」。主はヨシュアに言われた、「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。」
ヨシュア記7:1〜10
エリコでの大勝利に続き、小さな町アイでは敗走を強いられます。ここで、エリコで勝つことができた理由と、アイでの敗北の背景について考えましょう。
この話の経緯は、ヨルダン川を渡るところから始まります。この時期はヨルダン川の増水期で、まさに「逆巻くヨルダン」でした。これをどのようにして渡るのか、主は指示をしました。契約の箱を担いでいる祭司たちはどうするべきか、その後に続く民はどうするべきか。祭司たちも民も、言われた通りにしました。すると、主はヨルダン川の水を堰き止め、紅海の時と同様に乾いた陸地を渡って向こう側にたどり着きました。民がした事は、主に命じられたことを行っただけです。その結果、主の大きな力が示されました。
それから民は、エリコでの戦いに備えて、荒野で割礼を受けていなかった男子全員が割礼を受けるようにと指示されると、全員が言われる通りにしました。傷が癒えたところで、戦いの準備に入ります。
エリコの町を攻め落とす手順も主が示されました。エリコは強大な城壁を持った町で、城門が硬く閉ざされていました。どのようにして攻め落とすのでしょうか?その指示とは?
まず一日目、角笛に先導される契約の箱に従って、全員で町の周囲を一周して、陣営に戻る。この間、私語厳禁。
民は言われる通りにしました。
次に二日目、角笛に先導される契約の箱に従って、全員で町の周囲を一周して、陣営に戻る。この間も、私語厳禁。
民は言われる通りにしました。
これを六日目まで繰り返す。
民は言われる通りにしました。
七日目は早朝から繰り出して町の周りを七周した後、ヨシュアの合図に合わせて、全員が喊声(かんせい)を上げる。
民は言われる通りにしました。
すると、町の城壁は崩れ、民は労せず市中になだれ込み、簡単に制圧できました。民がした事は、主に命じられたことを行っただけです。その結果、主の大きな力が示されました。
これはかつて、モーセの口によってイスラエルに告げられたことが、40年後にまた実現したのです。
「主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい。」
出エジプト記14:14
戦うのは主なのだから、あなたはおとなしく言われる通りにしなさい、ということです。しかも、このエリコの戦いの直前には、ヨシュアは意外な人物と出会っています。
ヨシュアがエリコの近くにいたとき、目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身のつるぎを手に持ち、こちらに向かって立っていたので、ヨシュアはその人のところへ行って言った、「あなたはわれわれを助けるのですか。それともわれわれの敵を助けるのですか」。彼は言った、「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」。ヨシュアは地にひれ伏し拝して言った、「わが主は何をしもべに告げようとされるのですか」。すると主の軍勢の将はヨシュアに言った、「あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である」。ヨシュアはそのようにした。
ヨシュア記5:13〜15
この「主の軍勢の将」がどのような存在なのか、諸説ありますが、天使と考えるのが普通かと思います。しかし、天使とするには二つ問題があります。ひとつには、ひれ伏すヨシュアを止めなかったことです。黙示録でヨハネが出会った天使はヨハネのそのような行為をやめさせ、「私もあなた同様、主のしもべに過ぎない」と言いました。また、その存在故にその地が聖なる地となっている、だから靴を脱ぎなさい、というのは主がモーセに燃える柴の中から語られた時と同様です。この人物は、40年間イスラエルのあとに「岩」としてついてきたキリストが、今度は「将」としてイスラエルに先立って進む、ということなのかもしれません。
いずれにせよ、戦われるのは主である、という事は主の言葉からも経験からも良くわかっていたはずでした。ヨルダン川を渡る前にも、エリコを攻める前にも、ヨシュアは主と「作戦会議」を持ちました。しかし、アイに関しては、様子がおかしいです。主の指示を仰ぐことなく偵察隊を送り出します。偵察隊は、アイは小さいから、二、三千人で十分と報告しました。これは、エリコでの大勝が自分たちの力によるものと勘違いしていたのか、あるいは主が我々のために戦うから全員で行く必要もないと勝手に考えたのかはわかりません。しかしヨシュアも、「うむ、良きにはからえ」的な形で、主に確認もせず、行かせてしまいました。その結果、36人の仲間を失うことになってしまいます。
そもそも考えてみれば、超大国エジプトに対してイスラエルを勝利させた主にとっては、強大なイスラエルに対して弱小アイを勝利させるのも容易いことです。心の持ちようひとつで、簡単に立場が逆転してしまいます。また、「全員を行かせる必要無い」というのも、主の意図を全く考慮しない、人間の効率優先の傲慢な考え方でした。実際、後にアイと戦って勝利する時、主は全員を行かせています。
さて、全く予想していなかった敗走を受けて、ヨシュアは衣を裂き、夕刻まで地にひれ伏して祈ります。そこに主がやって来て声をかけます。
「お前、何祈ってるんだ?」
主に祈っていて「何をやっている」と言われるというのは、どういうことでしょう。いつも祈るべきではないのでしょうか?その通りです、特にその日の朝は本当にそうでした。その時に主にお伺いさえ立てていれば、アカンの罪の事実が伝わり、陣営の中に罪がある状態で戦場に赴くこともなかったでしょう。
しかし、今は祈っている場合ではありません。行動の時です。この罪を自分たちの中から取り除かなければなりません。私たちは主のために取らなければならない行動を知っていながら、その行動をとらずに祈っているだけであったなら、それも不従順です。そして、主に対する不従順があるところでは、誰も幸せになりません。
この話でもうひとつ気になるのが、アカン一人の罪のために多くの無関係の人が巻き込まれ、命を落とす者もおり、またアカンの家族は全員処刑にされました。これはあまりにも理不尽すぎないでしょうか?確かに、平時においては一人の罪のために他者が罰せられる事は、基本的にありませんでした(親が未成年の子供の罪のために処罰されることは例外的にありました)。しかし、これは罪の働き、罪というものの果てしないおぞましさを表しています。私たちにとって、罪というのが自分の肉の存在の自然な一部なので、そこまで自分の罪を悪いとは思わなかったりしてしまいます。そのために、主は戦争や犯罪などの様々な不条理により、私たちに自分の存在がどのようなものなのかを時折思い起こさせるのです。
「罪の罪たることが現れるための、罪のしわざである。」
ローマ7:13より
それから、アカンの家族について。家族全員の処刑は確かに見せしめのために行われたもので、集団見せしめの場合は、無関係の人も巻き込まれたりします。しかし、アカンは家族、親族に知られる事なくこれだけの量の奉納物(エリコの町の財宝の一部)を天幕に隠したことは考えにくいです。当時は一家、場合によっては一族が大きなテントに暮らしていました。形は違いますが、チベットの遊牧民が使っているゲルを想像してください。大人数がテントの中でひしめき合っているのです。全員ではないにしろ、アカンがした事はある程度家族や親族、場合によってはご近所に黙認されていたと想察されます。中には、「父ちゃんうまいことやったな」という人から、「パパ、それ絶対まずいよ」という人までいたかもしれませんが、誰一人、ヨシュアや長老に告げる者はいませんでした。
まとめると、ヨシュアは主に従って民を導く優秀な軍人でしたが、時には自分の軍人としての能力に頼りすぎて、詰めが甘くなることもありました。来週はヨシュアが詰めの甘さでイスラエルに不利益をもたらしたもうひとつの事例を見ます。それまで一週間、私たち一人一人、自分にとって自然な自分の性格が主との距離を広げてしまい、自他に不利益をもたらす事はないだろうか?内省(ないせい)しましょう。